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My French Cello

ぼくが親父に勧められてチェロを習い始めたのが幼稚園の頃。週に一度、毎週教室に通った。加えて毎日30分、両親にみてもらい家でも練習をした。中学校に入ってからは部活を始めたし、それ以降もなんだかんだで日々は忙しく、家での練習はサボり気味。それでも、結婚するまでの20年間レッスンには通い続けた。

結婚してからはマンション暮らしがはじまって、自宅で思い切り練習できなくなったこと、また、教室までが遠くなったこともあり、弾かなくなった。それから、息子が生まれて、6歳になって、親父がぼくにそうしたのと同じように、ぼくも息子にチェロを習わせた。ぼくと同じ先生にみてもらっている。ちなみに、家は息子が生まれてすぐにいまの戸建てに引っ越したので、練習の場所の問題、教室への通いの問題はもう心配ないのだ。

そして、それをきっかけにしてぼくもチェロの練習を再開した。約5年のブランクだった。5年もブランクがあれば、ろくに弾けなくなっているのではないかと心配したが、以前と同じとはいかないものの、意外に体は動いたのだった。息子の練習をみながら、自分も基礎からやりなおす良い機会となった。

息子は6年生になった。中学の受験勉強に専念するためにレッスンに通うことを止めた。それから、息子と入れ替わりでぼくがレッスンに通うことにした。バッハの無伴奏と小品を練習した。中学受験を終えた息子は再びレッスンを再開したが、ぼくも引き続きレッスンに通っている。

小さな子どもが弦楽器を弾くには大人用の楽器は大きすぎる。そこで、分数器という小さいサイズの楽器を使う。1/8、1/4、1/2、3/4と体の成長にあわせて楽器も大きくしていく。大人と同じフルサイズの楽器を手にするのは中学生くらい、身長が150cmとか160cmくらいになってから。ぼくがフルサイズのチェロを手にしたのも中学生の頃だったのだろう。先生が数本の楽器を並べてくれて、音の違いはまったく覚えていないが、どれが良いか弾き比べたことは覚えている。それ以降、そのときに選んだドイツの量産楽器が相棒となった。

バイオリンやチェロといった弦楽器は一人の職人が工房で一台一台仕上げる楽器もあれば、工場で流れ作業や制作の工程を省略するなどしてコストを抑えて量産される楽器もある。当然、前者のほうが高級である。しかし、後者による楽器でもまったくダメというわけではなく、十分に使える楽器も多い。

また、バイオリンやチェロは制作された国によって値段がかわる。一般的にイタリーが一番のブランドとされ、次がフレンチ、そしてジャーマンと続く。その次は東欧だろうか。とくに、イタリアのクレモナという町で制作された楽器はとくにもてはやされている。

いまのバイオリンの原型は16世紀にクレモナで活躍したアマティ一族によって形作られたといわれている。その後、17世紀〜18世紀にかの有名なストラディバリやガルネリといった名工を排出したのもまたクレモナであった。彼らの楽器は当時から評判となり、演奏家たちの羨望の対象となった。そして、運良く名器を手にすることができた演奏家たちによる神がかった演奏が名器伝説の新たなページを彩っていくのである。そうして名器の価値は上がり、次の持ち主から、また、次の持ち主へと渡り歩くうちにまた値が上がるのである。

現代では数億円から数十億円で取引されることもある名器たちはコレクターや博物館のコレクションとして表舞台に出てこないものもあるが、運良くその時代その時代の演奏家たちの手に引き継がれ引退を免れているものもある。おかげで、ぼくたちは彼ら彼女らによる演奏を通じて今でもその音色を聴くことができるのである。

そういうわけで、ストラディバリやガルネリ以降、「クレモナ産」は弦楽器の一流ブランドとなった。現代の作家の作品であってもフランスやドイツの同じ時代のものと比べて高値が付く。まさに高嶺の花なのである。

さて、息子は中学生となり晴れてフルサイズの楽器に持ち替えることとなった。そこで、ぼくはドイツの量産楽器は息子に譲ることして、新しい楽器を買うことにしたのであった。

あのときと同じ様に、目の前には3本のチェロが並んでいる。違うのは年期の入った楽器でそれぞれ明らかに個性の異なるチェロが3本ということだ。ジャーマン、フレンチ、もう一本は東欧だったか。いずれも、一般的に言われる新作楽器ではなく古い楽器だ。古いと言っても数百年というスケールではなくて、半世紀からいっても百年くらいだろう。

ぼくの予算では新作の高いイタリーよりも、使い込まれたそれ以外の国の楽器が良いということなのだろう。見た目も音も渋いジャーマンにしようか、発音が良く深みのある音のフレンチにしようか。東欧はいまいちボヤっとした印象だったので、早々に選択肢から除外した。悩んだあげく、少々予算オーバーではあったが、フレンチを選んだのであった。

じつは、このフレンチ、作家が誰か、どこの工房か、いつ作られたのか、そもそもほんとうにフレンチなのか、はっきりしたことはわからない。鑑定書のような気の利いたものなんてない。f字孔から楽器の中をのぞき込むとちょっとしたラベルがはってあって、普通そこには作者や制作年などが書いてあるのだが、どうやら、名工のラベルの偽造も横行したようで、気休め程度にしかならないと言われている。楽器店のオヤジはニスの違いや木目の出方など楽器の特徴や前の持ち主から聞いた話から推し量ってフレンチだと言っているのだ。そんなことなので、もう、最後は自分の感覚に従って音色や弾き心地で決めるしかないのである。

購入した後、テールピースやらエンドピンやらを交換してもらうために再び楽器を店に持ち込んだ。店主の話では引退したプロの演奏家が昔にフランスで購入して長年弾いてきたもので、引退して譲り渡す先を探すために預かっていたという話を聞かされた。

楽器に染みついていたパイプ煙草の匂いの向こうに、この楽器の見てきたセピア色の景色が見えた気がしたのであった。

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