エッセイ #26 社交的も内向的もそれぞれ役割がある。
たまに思うんだ。
もし、私が社交的で友達や知り合いが多くて、
集団生活が特別嫌でもなくて、悩みがあればすぐに相談したり、幸せの絶頂にいる友達を自分ごとのように喜べたり、傷ついている友達に自分ごとのように寄り添える人間だったら、
今の私の人生は
もっと、チャンスに恵まれて
もっと、幸せだったのだろうか。
今とは違うもっと、華やかな世界にいたのだろうか。
人付き合いよりも自分の時間を優先し続けてきた私は人生損をしているの?
ー
私はバス酔いしやすいからバスには乗らない。
でも急な雨と、思っていたよりも寒かったこともありしょうがなく吉祥寺からバスに乗った。
スマホを見ると気持ち悪くなるからスマホを触れないから窓の外をぼーっと見ていた。
ジブリの森美術館の前で信号が赤になり止まると、窓の奥で大きなトトロと目がった。
その時にフワッとさっきの答えのようなものが頭に降りてきた。
社交的な人には、仲間や多くの出会いの中でまだみたことのない新しいものを作り上げ、ワクワクを人々に提供してくれる役割がある。
そんな大きなスケールではなくても、クラスや職場を盛り上げてくれたり、つらい時に「大丈夫?」と声をかけてくれたりさ。
じゃー内向的な人間は何もないのかというとやっぱり役割がある。
人との仲を深めることが苦手な代わりに、自分自身と対話して没頭し意味を深め、それを表現して人々に感動を与える役割がある。
遺伝なのか、環境なのか、性格なのか、トラウマなのか分からないけれど、自分が自分である理由とか、役割、使命ってやっぱりある気がするんだ。
トトロと目があってそんなことを思ったら
もしも自分が社交的だったら、なんてどうでもよくなった。
というか、もしも私が社交的だったなら
息子に会えていない。
そう思ったら、
内向的に生きてきたことは大正解じゃないか。
えりな
※外交的より社交的の方がしっくりくるので
社交的と内向的を対義語のように使っています。