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仮囲いコンペ『Ambiguous』 ~中間の解凍~

”そこにどんな景色が広がっていたのか”

工事中が生み出す分断的行為に対し、空間的にも、時間的にも中間を取り持つ仮囲いを考える事で、それらの問題に立ち向かいながら、社会の成長と共に圧縮された中間と言う概念・存在を解凍してゆく体験だった。


今年の春に行われた『第二回仮囲いデザインコンテスト』にて優秀賞をいただいた。このコンペは全国建設業協同組合連合会(全建協連)主催の元行われ、過去にはユニホームデザインなどのコンペを行っており、昨年度から、仮囲いのコンペが行われる様になった。

はじめに、今回のコンペの2次審査は2月下旬に行われた。コロナが世間一般に認知され始めた頃で、既に大人数でのイベントの自粛が相次いでる中ではあったが、厳重な管理の元、対面形式で開催をしていただいた、全国建設業協同組合連合会をはじめとした関係者の皆様に感謝いたします。

振り返る前に、このコンペは三人で参加したコンペであるので、先にメンバーの名前を載せておく。
・一色淳之介 
・岩穴口颯音(筆者) 
・税所飛駆

今年のテーマは、『工事中と人々結ぶインターフェイス』であった。
このテーマに対し私たちは、仮囲いによって出来てしまう二つの世界を等価に扱い、境界線をいかに曖昧なものにし、工事前と竣工後の世界を分断させないか。と言うテーマのもと進めていった。

提出したプレゼンテーションボード

まずこのコンペの重要な点として施工性を考えていたので、最終的に1:1のモックアップを作り2次審査へと挑んだ。

【 反射が生み出す曖昧さ 】
私たちは、今回ミラーという素材を選んだ。
操作としては単純で透明な仮囲いに対し、ミラーシートを貼り付ける。と言うものである。仮囲いのユニット一枚を一面とし、その面の50%を鏡(反射)になる様に、市松模様でミラーを貼り付けた。
50%はこちらの景色を反射し、残りの50%は工事現場内の景色が見えるようになり、一枚の画の中に二つの世界の景色を混在させ、混ぜていく事で、境界線を曖昧にしてゆき、新しい風景を生み出すと同時に、新しい関係性を作り出せるのではないかと考えた。

工事現場の中も、変化する街の風景の一部であり、周りの街は変わらないものとしてあり、動と静の二つの景色を混在させる事で、工事中だけ現れる新しい風景を作る。

仮囲いがある事で、記憶や時間的にも分断されてしまう現状に対し。工事現場の景色と周りの景色を等価に扱い、工事中から招き入れる。
また、ユニットの大きさで最大の鏡の大きさから、徐々に分割してゆき、ビルや人の集合の大きさから→手や顔や足、窓や雲や葉っぱなどと言った、部分を切り取る大きさにへと変化させていく事で、人間と建築物や、空と緑など、ありとあらゆる物を混ぜていく。

仮囲いの目の前に建つと中が見える。
少し退いた反対側の歩道から見ると、景色が変わり始める。離れるにつれ、景色が混ざりだし、仮囲いの前を歩く通行人は、工事現場の風景の一部となる。時に反射した人影が工事現場内へとワープする。
自分自身も、前を歩くときは演者であり、退くと観客に変わる。

模型写真

そうして、そこにある現象は空間を侵食し、あちらとこちらの二つの世界の境界、或は存在を曖昧にし、混ぜながら。
工事中にだけ現れる特異な空間を作り出す。


【 あとがき 】
これまでの社会の成長は、中間・途中を圧縮(排除)するものであった様に思える。白か黒、YesかNoか、1か0か。物事を二分化(二項対立)していき、その中で工事中という間は圧縮され、白い壁によって無いものにされてきたのだ。
私が思うのは、これまでが二分化の時代であったとすれば、これからの時代は、その間を考え広げる時代(中間・途中を見つめ直す)である様に思える。白黒の明度の間に色彩の彩度を探す旅の様である。
個人的には、既に始まっていると感じることもある。最近の都市の隙間や、余白の様なものにフォーカスし設計する案はこれにあたるのかもしれない。


世界的パンデミックは人同士の分断もさる事ながら、人とモノとの分断も生み、観客或いは観測者を必要としたモノから、それらを消失させた。

だが、それらから発展して思う事は、観測されないオブジェクト性である。OOO(オブジェクト指向存在論)で言う隠れた部分?
また、都会だからといって、大人数に対し行う事も重要だが、都会だからこそ、少数しか見れない景色を見た時に、より感動と特別感を得られるかもしれない。
元々工事中(仮囲い)はあまり目に付くものでもなく、注意してみられるものでは無いと考えた時に、だからこそ特別な存在にもなれる可能性があるのでは無いかと思いながらコンペに取り組んでいた。

制作中、ふとした瞬間に、ドビュッシーの『月の光』が頭の中で流れ始めた。
それは、壮大な宇宙の運行の力を借り光り輝きながら、仮囲いが自律し始め、中間が圧縮されていたのから解凍され、特別なモノになった瞬間でもあった様に思える。

環境問題をはじめとした様々な問題は今の時代を人新世と呼ぶ様になった。
もしその先を考えるとすれば、超高層が次々と建つのは、建築とは別の理由が原動力で中々抑えられないかもしれないが、少なからず、仮囲いをはじめ、中間や途中など、圧縮されている部分を探し、解凍してゆくことに、必要性と可能性があるのかもしれない。

最後に当日のプレゼンテーションとパースや模型写真を載せて終わりにする。


【 当日プレゼンテーション 】

日々めまぐるしく変化を続ける東京、その変化を覆い隠す様に立つ仮囲いは、工事現場とその周辺を二つに分ける、二次元的な線や面でしかない。
私たちはインターフェースという言葉に対しもっと三次元的で、両者の間に出来上がる場としての可能性を感じ、設計を行った。

まず、仮囲いが建つことによって二つの世界ができることは受け入れる姿勢をとり、その二つの世界を、光と影などの相対関係ではなく、色の様な補色関係として扱うことはできないかと考えてみました。
また両者の世界を、見る見られるの一方的な関係ではなく、対等に扱い、仮囲いを両者の共有物として存在させることで、新しい関係性を生み出せるのではないかと考えます。

操作としては、ミラーと透過する素材を用い、一つの仮囲いの中に同時に二つの世界を見させることで、反射する自分の世界と、透過し見える向こうの世界の境界を1枚の絵の中に混在さて行き。曖昧にし、お互いに強調し合いながら、混ざってゆく関係性を作りだします。

施工としては単純で、透明な仮囲いにミラーのカッティングシートを貼ってゆきます。

その時に一つの面の中に、ミラー面と透過面が50%ずつ存在する様にします。

大都市の開発は、人間のスケールを超える規模、スピードで行われています、しかしその開発や工事は紛れもなく人間の手によって行われており、それらは確かに仮囲いの向こう側にいる人々によって行われ、それは私たちの生活と密接に繋がっているはずです。

その関係性を忘れないために、ミラーの柄をグラデーション状に変化せることによりその実感しずらい事実を表現します。

立面を連続的に変化させて行き。ビル、空、人、大地を切りとる大きさから、徐々に細分化してゆくことで、それらは細胞化してゆき、ビルの窓も、人の目も、葉っぱも環境を構成する要素としてスケールを超え混ざり合ってゆきます。

またミラーは光を反射させ、仮囲いの柄を光として、前面を彩ります。

その操作を両面に行い、街の人たちは中の変わりゆく景色を見ながら自分たちの世界を見つめなおし、中の人々は、変わらずにある街の風景と、自分たちが作り上げてゆくものを対比させながら、自分たちの仕事にさらに誇りを持ち始めるのです。

またここで起こる現象は、この仮囲いとの距離によっても変わってゆきます。

目の前に立つと、ミラーに映る自分と、その先の世界を見ることができます。2つの世界の違いを見つける様な体験をさせます、一歩引き、仮囲いの前を通る人々を眺め始めると、突然前を歩く人が、仮囲いの向こう側を歩いているかの様に見え始めたりします。もしかしたら反対側のビルから見たらまた新しい見え方をするかもしれません。ミラー面と透過面を50%ずつとすることで、この様に向こう側のものと、こちら側のものが等価にこの面に映し出され、境界は揺らぎ始め、曖昧になり、混ざり合ってゆくのです。
この仮囲い周辺には不思議な体験と関係性が現れます。

場として周りに認識させることによりもしかしたら、ここがランウェイに変わるかもしれません、私たちは、この仮囲いが出来上がることを目標としてではなく、できた後のことにも興味があります。例えば、過去に行われた、ユニホームデザインと連携し、ここでイベントを行えるかもしれません。場として捉えることにより、そこには時間が流れ始め、様々なことが起こることを期待しています。

この仮囲いは新しい風景を作り出し。そこを訪れた人たちに対し特別な体験をさせます。三次元的に広がる体験や場は、副次元的な効果連鎖を引き起こし。様々な出来事を予感せます。

未来の風景を作り出す工事現場だからこそ、そこには、さらにその先の未来を作り出すきっかけと可能性が潜んでいると信じ、

この提案をさせていただきます。
ありがとうございました。


【 模型写真 】

怪しい目で見られまくった。。↑

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