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公共空間の役割とバランス

独りでのんびりできる公園、激しく運動する公園、デートする公園。
様々な公園がある。

近年の公園を取り巻く議論は結局平均化の道を辿らなければならない。
日本において公園はシステム上、みんなのために作らざるおえないし、差を出すことがむずかしことは理解できるが。
全て明るい感じはバランスが悪く感じる。

問題は、一つの公園で全部請け負おおうとしていることである。東京は世界の都市の中でも、比較的大きな公園同士の距離が近いのが特徴だと思う。

ならば、それら公園間の移動が楽になれば、現代の問題の少しは解決するのではないか?

そうすれば、もう少し、各々の公園がより個性的になれるかもしれない。
昔のみやした公園(宮下ナイキパーク)はサラリーマンなどが独りでぼーっとしている場所であった。
今の状態も良いが、近年は独りで入れる無料の空間が減りつつある。
都市からアイソレーションされるような体験は、カラオケに籠るのとは違い、全体が存在するのが前提での分離である。
ある種、周りの空間と連続してないことで熟成されるカルチャーが昔はそこに存在していた。

リビングのような公園、ダイニングのような公園、庭のような公園、自室のような公園。

これからの時代は、間取りを考えるように、部分(公園単体)で考えるのではなく、全体とその関係性を意識しながら、バランスを見て計画していく必要があるのかもしれない。


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