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3年後の姿を想像して①

卒業した3年生たちの姿を監督として、教員として、1人の大人として見つめた中村先生の思いを紹介します。守山高ラグビー部のHPより転載です。挫折と成長、人は3年間で育つことを教えてくれます。※原文ママ

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2020年度の守山高校ラグビー 部は3/29で活動を終え、春期休業になりました。さて、今年度は、コロナ禍で思うような活動ができませんでした。そんな中で卒業を迎えた6人の生徒たち。毎年、守山高校の生徒を見ているとなんとなく世の中が分かってきます。今年度の卒業生たちを一言でいうと、エネルギー不足ですかね。私が学年に入り、14人からスタートした3年前、今年度で退職なさる校長先生が赴任された年でもありました。それから3年、スタッフも的場先生、大内教頭、山下先生と増え、最高な環境が整えられた3年でした。彼らが1年生の花園予選では、愛知県でベスト16。これから守山高校ラグビー部は上昇気流にのるはずでした。

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辞めろと言われれば辞めますよ

が、1年の秋に残っていたメンバーは、4人でした。さらに1人が辞め3人になりましたし、残った3人もいつでも辞める状況でした。キャプテン平野は当時、遅刻・無断欠席は当たり前、呼んで話をするも「別に。先生の言ってることは間違ってないです。でも僕はこれからも遅刻すると思いますし、無断欠席します。大人になったら苦労すると思いますけど、仕方ないですね。ちゃんとは出来ないと思います。チームに迷惑かけてることも分かってますが、直らないと思います。辞めろと言われれば辞めますよ。」という状態でした。

他の生徒たちも「先輩の情熱についていけません。もう嫌なので辞めます。」と言って辞めていました。先輩にいつも怒られており、その度に泣いていた部員もいました。感情が抑え切れず、よく部活を休む状態の生徒もいます。

一番の問題児は部活どころか学校に来られない部員でした。毎年単位が切れるギリギリまで休んでいました。学校を一日休むと一か月連続で休みます。その度に家に押しかけ学校に連れ出します。3年間で40回ほど家庭訪問を続けたと思います。

この生徒だけでなく、多くの部員たちに情熱を持って接したつもりでした。7年前赴任した頃、悪いことばかりしていた部員と同じように情熱を持って接しました。あの頃は、その情熱に反発がありましたが。そして、反発する中で私の情熱が部員に伝わっていく感じでした。しかし、この卒業生たちは、情熱が暖簾に腕押し状態でした。

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このままじゃダメだ。オレの人生

部員が14→10→7→4と減っていく中、ある日辞めた坂元が私のもとにやってきました。
「先生、ラグビーやった方が良いですよね?なんかラグビーやっている奴、楽しそうだし、輝いてる。オレ何のために高校来たかわからなくなりました。だから、ラグビーやろうと思います。」

さらに寺村が「先生が担任だったらラグビー部に戻るわ」と言ってきました。残念ながら2年生で寺村を担任することはなかったです。寺村には本当に戻ってきて欲しかった。諦めかけたその時、寺村が「やっぱラグビーやるわ。このままじゃダメだ。オレの人生。」

先輩たちに怒られていた幸村も、もう一回15人でラグビーやるぞと意気込み、新入生に声をかけまくっていました。その結果、14人もの新入生が入り、再び15人制単独チームで試合に臨めるようになりました。

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MG三村も、守山高校のMGでは珍しく、言われる前に自分で考えて動いていました。キャプテン平野も中心選手に成長していました。的場先生が赴任した頃「准之介は自分でいくな。パスしろ。」と言われていましたが、3年になる頃には「准之介にボール集めろ!」となっていました。

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②へと続く https://note.com/iwamotoakito/n/n770778f1496f

彼らがラグビーに真剣に取り組めるよう、ボールにエールを込めて子どもたちに届けています。世界で1つ、大切なボールを必死になってつなぎゴールを目指してほしい。彼らを信じ、彼らを応援し続けます。皆さまからの温かい支援を頂ければ幸いです。

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https://note.com/iwamotoakito/n/n0db289ca9427

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サポートいただいた大切なお気持ちも必ず子どもたちに還元させていただきます。彼らへエールを今後ともよろしくお願い致します。