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インド行ってヨガやめました ③

それにしても、

あんなにお世話になったヨガなのになと。と今は思う。

ある局面を向かえてから、ぱたりとしなくなってしまった。

時間のある時にしよう!と全く思わない。
その本来の良さが全く分からない。

始末が悪いのは、ヨガしてる人に嫌悪感すら感じている。

そこまで嫌う理由に正当性はない。
ここまで性格が悪いと手の施し様がない。


やめる決意に至りながらも、複雑な心境に駆られていた。

それにしても、やめるなんて本当に想定外で信じられない。

ずっと生涯関わっていくと思っていたのに。

ヨガを通しての人間関係、精神性、こんな素晴らしいものに出会えた喜びなどは一体何だったのか?

あぁ、世は諸行無常。

そもそも、

ヨガとの出会いは、25歳くらい。今から15年程前に遡る。

派遣OL時代、自動車系商社でかなりの激務とエリート社会の闇で鬱になった。

ネットで近所のコミセンに毎週木曜日の夜のヨガクラスを発見。

徒歩三分で丁度、余裕で通えた。一回千円だったのも経済的によかった。

通い出してかなり心身共に改善された。

クラスの始めのお祈り(マントラ)が新鮮だった。

先生たちも魅力的だった、ユニフォームもまぶしかった。
本格的、本質的だなと思えた。

喫煙ジャンク生活から抜け出し健康志向に拍車がかかった。

アラユル身体にいいことをした。

そう、世は何度目かのスピリチャルブーム到来だった。

二駅先に、oshoセンターもあった。
こんな地方都市にもベジカフェも増えてきていた。
マドンナがマクロビをやっていて、憧れた。
東洋医学、ナチュラルハイジーン、なんでも楽しくてやってみた。

弊害としては、人間関係が一気に変わったこと。
ベジタリアンになり、旦那と食生活や色々嚙み合わなくなってきた。
肉食がしんどくなる、肉食をする人とも会いたくなくなる。
会社とかの付き合いがストレスでしんどくなる。

正反対な精神世界に一気に魅了され、それまでの世界とのバランスを保つ概念とか技とか持ち合わせていなかった。

この時、良くも悪くも方向性を間違えたのだろう。


ヨガを初めて、6年後くらい、10年の結婚生活にピリオドを打つ。

「。」

離婚した当時、あの時は、ものすごくヨガに救われた。

ヨガなしでは相当きつかったし、乗り切れなかった。

ヨガの先生や団体組織、お友達、仲間に大変お世話になった。

こんなに長くした習い事はなかった。

そうではありながらも、人間、時には続けられない物事があるということを知った。

どんなに優れていて、寄り添ってくれても、必ず「卒業」がある。


そう、私は飽き性だから

そう、私は裏切り者のユダだから

そう、平気で手のひらを反すような薄情者だから

そう、私は噓つきな割に自分には嘘をつかない卑怯者・愚か者だから

そう、そうやってわたしは、ようやくヨガから解放された。

晴れて卒業したのだ。

独りよがりなヨガ的人生はここで一旦終焉を迎えられた。

④へ続く・・・


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