【交換日記その10】おもちゃ箱と嫉妬のはなし
あじちゃんへ
お久しぶりです。なんだかまた2週間くらい空いてしまいましたね。なんだか月の半分くらいは自分じゃないみたいな感じがして文章がかけなくなるということがわかってきました。
書けるようになると自分戻ってきた感じがしてとてもいいね。
交換日記よありがとう。
さて前回のあじちゃんの日記はこちら。
そうそう、前回は「生きてるって感じ」ってどんなとき?という話をしたんだったね。あじちゃんの回答はうらやましいものだったなぁという感想。笑
「気持ちが死なないためにやっていること」って、好きなものを眺めてるってことなのかもしれない。自分の中にエアおもちゃばこがあって、そこに好きなもの(人・作品・食べ物・場所)がごちゃっと入ってる。疲れた時には余計それを欲する気がする。新しく見つけた宝物もいいし、古い宝物を取り出して「やっぱりこれいいよな」って再確認するときも幸せ。私のおもちゃばこにはこんなにかっこいいものがいっぱいある!やったね!って思うことで回復するっていう。というわけで私が“生きてるって感じ”を感じるのは「おもちゃばこを眺めるとき」です!
ああ、私は「おもちゃ箱の中身を紹介してくれる人」のことが大好きなんだよなぁと。改めてクスクスしたよ。
大好きすぎて、自分も自分のおもちゃ箱をもちたくて、たくさん映画を見てみたり、音楽を聴いてみたりするんだけど、そもそもおもちゃ箱ごと取り替えてしまうのか「蓄積」が全くできなくて。
聴いたとき、読んだときはさ、すっごい感動するしその瞬間にレポをかかせたらちゃんと書けると思う。でも、その瞬間に自分の感情をかけすぎているのか、1か月後にはおもちゃ箱ごと消えてるの。
食ってんのかな?笑
作品の記憶がほぼ全部消えて、その作品に対する自分の感情のベクトルとボリューム、匂いとか温度の感覚しか残らないのよね。
だから、小説のタイトルみても内容は全然覚えていないのに感情だけがよみがえるというか。
地面みたいなじっとりした雰囲気もあるのに、底抜けにあかるくて眩しい小説
ほわほわした空気がただようけれど異様に人間くさいドラマ
売れそうな匂いをさせたポスターみたいな潔い感動小説
みたいなね、変なの。笑
だからね、実をいうとね、そういう魅力的なおもちゃ箱をもった人をみて「ああ~自分てなんだか本当に中身のない人間だな、つら~。」と嫉妬めいたものと生きている時期が長かったように思うの。
特に、予備校・大学~社会人5年目までの10年くらい。ちょうど写真や音楽のサークルにいて知識が豊富なみんなの中にいたからさ、やっぱりすごいあこがれてしまってた。
今思うとそういう嫉妬の期間ながかったなー。お疲れ自分。
結局、「おもちゃ箱を持てない人」として生きていくのもいいのかもな~とあきらめがついてようやく自分を癒す方法や生きてるって感じの感覚を取り戻したんだよね。
食べるをつくる、食べる、飲む、掃除する、美術鑑賞をする、しゃべる、いい景色を見る、神社に行く、きれいな色をみる、だべりを見る、とか。人の心や感情を想像して仕組みや企画を考えるとか。おもちゃ箱なくてもやれることがありそうなことがわかったのかもね。
だからね、ほんとねあじちゃんをはじめ「おもちゃ箱」をもてる人はそのおもちゃ箱に自信をもってほしい。
おもちゃ箱の中身はいろいろ変わっていくのかもしれないしどんどん大きく深くなるのかもしれない。私にはそのへんの構造はわからないんだけどきっと私以外にも嫉妬する人がいるくらい魅力的なものだと思うのです。
あ~嫉妬というのは根深いよね。嫉妬はあと20年はしそうだよ。笑
嫉妬の話をしてほしいというとなんだかそれはそれで重いからお任せします。笑
でも嫉妬っておもしろいとおもうからワイワイ話してみたい気もしてきました。お返事お待ちしてます。
p.s. 紹介していたコーヒーやさんには連れていくこと。