【違和感チューニングその2】料理好きとは

こんにちは。違和感チューニングのもあーです。

先日、初めて記事を投稿して
「誰も読まないでしょう!はっはっはー!」
とタカをくくっていました。

現時点でスキを押してくれた皆様、優しくないですか?

ありがとうございます。

これがnoteの優しさなのでしょうか。
いいとこかよ。
ここは良いとこ、一度はおいでかよ。

さて、本日の「違和感チューニング」は「料理好き」について。

つい最近、私は料理好きだと気がつきました。まじ最近。

食べるためだけに旅行にいきますし、地方に住んでいますが東京の美味しいお店にだってわざわざ行っていました。

エンゲル係数は計算したくないほど高い。

1500円の服は買わないことはできても、今しか飲めない1500円のビールは余裕で頼みます。

既に想像しただけで幸せやん。

あ、これは人に「食べるのが好き」と言えるレベルだな。と。自分でもわかるのです。

が、しかし

どうしても「料理が好き」とは人に言えないんです。

家にいれば料理をするし、ちょっと変わった食材があれば調べて作るし、
アップルパイやおかし作りもしなくはない。
余った食材でつくるご飯は達成感もある。

最近は子供ができたこともあり、外食や買い食いは減り、毎日料理をしている。
おそらく、不味くはない。

でも、人前で「料理好きなんです」って言えなかった。

むしろ、なんでこんなに私は料理が下手なんだろう、手早くできないんだろう、食材を余らせてしまうんだろう、旦那さん好みの味にできないんだろう、味覚がおかしいのかな。もう自分で作りたくネェェェ!!!

旦那さんのご飯おいしいし
ともだちのごはんおいしいし
ソトノゴハンオイシイィィィ!!!!
自分の料理くそぉぉ!!

と、謎の負のスパイラルで旦那さんに八つ当たりしたりしました。

ふと気がついたんですよね。

坂口恭平さんの「cook」を読んだ時に。

鬱状態の時に料理を始めたという彼の写真は私が料理好きになるために読んでいた料理本の写真とは違った。

生きるために食べ、生活のリズムを作り出すきっかけ、そして自分の調子を把握するための料理が写っていた。

完璧とは言えない盛り付けでも、とんでもなく美味そうなのだ。

そして繰り返される、絶品だったという感想。

彼はきっと料理が好きだと思った。
正直、私がその肉じゃがを食べて絶品だというかはわからない(いや、めちゃ美味そうだったけど)
でも、彼の絶品だったには異様な輝きを感じた。

自分で作った料理、自分で絶品だったと言ったのはいつが、最後だろう。

食べてもらう人の顔色を伺う毎日。

さて、自分の味覚はどこいった?

そうか、そうだったのか。と気がつく。

私は料理好きと料理上手をごっちゃにしているんだ。

料理が好きなら美味しくなきゃ
お母さんになったし美味しい料理作らなきゃ
料理好きなら旦那さんの味覚えなきゃ
人におもてなしができる料理ができなきゃ

というやつは全て料理好きを名乗るのに不要じゃないか。なーんだ、いらないじゃないか!

私がなぜ料理が好きなのか。

それは、組み合わせを綺麗に作っていくのが好きだから。
をつくる時に頭を集中させるのが気持ちいいから。
少し難しい問題を解くように頭と体を使うから。いきている心地がするから。
頭と体を使ったご褒美に美味しいものが食べられるから。

たとえば冷蔵庫の食材を使い切ったり、
季節に合う料理を作ったり、
今食べたいものを今作ったり、
常備された鯖缶のポテンシャルを引き出したり、
旦那さんが帰ってくる時にちょうどぇきあがるように料理時間を計算してピッタリつくったり。(時間がポイント、タイムトライアル)
そんで、食べる。

なーんだ、私、全然、誰かをもてなそうとなんかしてなかったんだ。

人に「料理上手」なんて言われるために料理をつくってなかったんだって。

突然、自分以外の料理を作ることが増えたら、自分がおかしくなってたことに気がつく。

そう、私は料理が好き。

違和感チューニング、完了。

冷蔵庫を綺麗にしてくれて自分も綺麗になる気がする味噌汁、好き。

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