彼女と僕の1年間の秘密(プロローグ、一章)

プロローグ

 彼女、荒島 美希子はあまり感情を表情に出さない人だった。
 一見すると、何を考えているのかが分からない為、人に興味がないのだろうと思ってしまう程に彼女は無に近い表情で仕事に取り組んでいた。

 僕もそんな彼女のことに深く考える事なく、ただの仕事仲間だとしか思わずに接していたので、彼女のことについて問われても特に感想を述べることが出来なかっただろう。

 どうして、過去形なのかって?

 そりゃ、今は違うからだ。

 10畳1Kの日当たりがそこそこいい、マンションの一室、それが僕の部屋だった。就職に当たって、実家から初の一人暮らしで引っ越したのがここで、大学から交際している彼女を呼べると当時は喜んだものだ。

 しかし、現在はなかなか呼べずにいる。

 その理由が目の前でもぞもぞと身体をコタツの中から動かして徐ろに僕に声をかけてきた。

「ねえ、高島くん。この漫画の続きないの?買ってきて」

荒島 美希子その人だった。

第1章 始まりの秘密

 時は12月24日、深夜12時いつも通りに残業で仕事に勤しんでいた。
繰り返すがいつも通りである。
 ちょっとばかり一般企業より仕事が多めで、ちょっとばかり人手が足りない弊社は当然のように日々残業が当たり前だ。

 コーヒーは、1日に1リットル分はゆうに飲んでるし、栄養ドリンクもエナジードリンクも飲んでいる。
 つまりは、身体を無理やりフル稼働させて若さを武器に戦うサラリーマンだ。

 全く褒められないことは理解しているが、まあ就職氷河期で入った会社だ。そう簡単に辞めるわけにもいかず、今日もズルズルと会社に所属しながらうどんすすっているわけだ。

 とはいえ、この時間になれば流石に終電もなくなって来るため、徒歩圏内の自分みたいな人間しか残っていない。
 今日は珍しく自分しかいない。
「お、そういえば」

 ふと、やって見たい事を思い出した。
 うちの会社は、ワンフロアでここしかないから、誰もいないとすぐに分かる。

 ならば、聞こえても警備員くらいだろう。
 これはチャンスと若気の至りが止まらない23歳独身の俺は、徐ろに席を立ちフロアの真ん中に行った俺は、普段カラオケぐらいしか出さない声を張り上げた。

「このクソ会社が!!仕事丸投げしてゴルフしたいなら会社くんなクソ上司ども!!仕事は終わらねえし、休みもねえ!てめえら全員死んじまえ!!」

 心がすっきりと晴れ渡る気がした。
 澄んだ青空に思わず、表情にも笑顔が戻る。

 最高に興奮しているのが分かる。

「あー、すっきりした」

ふうと、振り返ったところで俺の表情が固まった。

そこには荒島さんが立っていたのだ。
彼女はキョトンとした顔をして状況を把握している最中だった。

いち早く思考が回復した俺は何食わぬ顔で

「お先失礼しまっす!」と横を抜けようとしたところでがっしりと腕を掴まれた。
 掴んだのは、もちろん荒島さんその人で。

掴まれた腕を見た後に表情を覗き見ると、そこには笑顔の花が咲いていた。

「まあまあ、そう言わずに先輩の食事に付き合いなさい」

俺は、目をつぶり、はい、と小さな声で返事をした。

荒島さんに引きずられるようについて行った店は、少し小汚いが趣のある飲み屋だった。慣れた様子で「生2つ」と注文している姿を横目で見た。

普段の仕事中に見ないような生き生きとした表情の彼女に少し驚いていた。露骨に見すぎていたせいで荒島さんがこちらに気づいた。

薄茶色に染めた髪と長いまつげ、薄く塗られた化粧は強調されておらず化粧をせずとも整った顔立ちをしてるのが分かる。

そんなことを考えていると、荒島さんが怪訝な顔をした。

「なーに、人の顔をマジマジと見て。どうでもいい事考えてないで、ほら飲むよ。かんぱーい」

ちょうど、届いた生ビールをこちらに一つ渡して、彼女はフライング気味に乾杯を要求してきたので応じた。

久々の生ビールの苦さと喉の潤いに思わず、おっさん臭いため息が口から溢れた。見ると、すでに1杯目を一気に飲みきった荒島さんがこちらをみながら、ニット笑って「いい飲みっぷりだね」と、言った。

『あんたに言われたかないよ』この言葉を胸の内に秘めて外に出さないことにした。

そんなこんな、3杯目を荒島さんが注文したあたりでようやくというか、今日のことが話題に上った。

「それにしても君もすっかりストレス抱えちゃってるねえ。まさか、会社でシャウトしてる人は初めて見たよ」

ニシシと歯を見せた笑顔を見せながら荒島さんが面白がって言った。

「人がまだ残ってるなんて思わなかったんですよ」

「それは君の後方不注意だなぁ。どんまい」

 荒島さんはぐいっとまた、一飲みした。

「その通りなのでこれ以上追求は無しの方向で」

話題を逸らそうとするも、んーと考えたそぶりをした後、

「面白くないからダメー」

荒島さんは逃す気はないご様子だ。

この人絶対サディストだな、と諦めモードに入ることにした。

再び、口にしたビールはいつもより、苦い気がした。

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 数時間、荒島さんに弄られ続けた後、お店を出る頃にはすっかり深夜2時を回っていた。終電なんてとっくに終わっている時間だが、果たして荒島さんは帰れるのだろうか。

「荒島さんってどちらにお住まい・・」

声をかけた時には、お店の隣に立つ電信柱にもたれながら、そのまま崩れ落ちそうになっている姿があった。

『おいおい、嘘だろ』

昨今社員の個人情報は開示されておらず当然荒島さんの住所など知らない。

このまま、寝ている彼女を置いて帰るわけにも行かない。

ちなみに俺の家は、会社にもすぐに行けるように会社から徒歩圏内に住んでいる。連れて帰ることは容易だが・・・。

一つため息をつくと、荒島さんを背中に乗せて家路に着いた。

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翌朝、けたたましいチャイムの音で俺は目を覚ました。

少しだけ、昨日のアルコールによる二日酔いの影響を感じながらドアを開けた。そこには、仁王立ちで可愛らしい顔を膨らませた俺の彼女のサチが立っていた。

「早く開けなさいよ!昨日、ドタキャンした埋め合わせしてもらうんだからね!」

そう言って、俺の横を通り過ぎて中に入ってきた彼女が息を飲むのがわかった。俺はこの瞬間まで忘れていたのだ。

コタツで眠る同僚の存在に。

スヤスヤと俺のTシャツをきて眠る荒島さんと修羅のような顔つきでこちら見るサチ。俺は天を仰ぐように顔を天井に向けた。

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