見出し画像

ヒッキーコラム④ ハイバイドアとヒッキーは同時に誕生!!

ハイバイの作品をいくつか見たことある人なら知っていると思われるが、我劇団ハイバイには、オリジナル舞台装置として「ハイバイドア」というものがある。
ご覧いただいていない方に説明すると、「ドアノブが宙に浮いている」みたいな金属の物体だ。「宙に浮いている」といってもほんとに浮いているわけではなく、床から出た細いL字の棒の先にドアノブがくっついていて、それがドアの様に開閉する動きを持っている。

つまりそこにハイバイドアがあれば、部屋と部屋の区切りが定義されて、本来なら「部屋」を提示するために必要なパネルやなんやかんやが要らなくなる。通常の舞台は1公演ごとに具体的な壁やら窓やらドアやらを作って、公演が終われば全て廃棄することになるが、我々はこのハイバイドアがあるため、そもそも壁を作らなくていいので、壁を捨てる必要もない。我ながら素晴らしいコスパとエコな発明をしたと思っている。

そんなハイバイドアは「ヒッキー・カンクーントルネード」と、ほぼ同時期に作られた。

「演劇をやるなら、少なくとも2面か3面、欲を言えば全方位を客席が囲んでいる「囲み舞台」にしたい」

と思っていた。

いわゆる「プロセニアム」と言う、舞台と客席が真っ二つに分かれて、舞台が額縁の中に収められている、と言う形式は、当時の僕にとっては「せっかく演劇なのに立体的な面を損なっている」という捉え方だったので、舞台を客席が挟んでいたり、挟めなくてもL字にしたりなどを考えていた。が、そうなると、空間を区切るのが難しい。大抵、室内で起きた物語をやる場合は、部屋と部屋を区切るのに、壁が必要になるため、パネルなどを立てて壁に見立てる。でも、挟みや囲みの舞台上に壁を立ててしまうと、客席から死角が生まれてしまうし、「部屋から道路へ」などと、場面が変わった時にまたそれを動かしたりなんかしなくちゃいけなくなってくる。そういうのがなんとも重っ苦しいなあと考えている時に、「ドアだけ立ってれば、空間を区切ったことになるよな。。」と浮かび、その後「ドアもめんどくさいから、ドアノブだけ浮かんでればいいんじゃないか?」と思い立ち、床から細いL字の棒が立ち、その先にドアノブがついている今の形状のハイバイドアを思いついた。そもそもドアがいらない時は床から引っこ抜いて、何もない状態にすることもできる。

思いついたはいいものの、どうやって作るんだ!?

と思いつつも、とにかく具体的にどういうものなのか、考えてみた。

「必要なのはドアノブと、金属の棒と、、ドアだから支柱を軸に回転しなくちゃいけないから、、と、金属の筒も必要で、、」

と図面のようなものを書き、タウンページで金属屋さんを探すと、「多摩金属」という、信じられない名前の金属屋さんがあったので運命を感じ電話をかける。

「もしもし、たまきんぞくです」

と、すんなり言ってきたことにも、さらなる運命を感じた。

音的には「タマキン族」としか聞こえない女性の声であった。「どれくらいの太さでどれくらいの長さの金属が何本必要で、、」と、若干何の話をしてるのか分からなくなりながらも要件を伝え、何日か後に品が届いたと連絡があり、車で受け取りに行く。

さあ、具材は集まった!!

が、一体これをどうやって加工するのだ!?

目の前に転がった金属の棒と板を前に戦慄するが、近所にある武蔵野美術大学の金属を加工できる工房に突撃し、今まさに課題に取り組んでいる学生さんに図面と金属と5千円を渡し、製作してもらった。

この先も使うだろうから、と、ちゃっかり2つ作ってもらった。

完成したハイバイドアは理想通りの仕上がりだった。が、めちゃ重かった。ドアノブを先っぽにくっつけた鉄の棒をがちゃんと地面から垂直に立たせるため、床板部分の金属板の面積がまあまあ広い。中世の盾のようなその部品が、クソ重い。今でも重い。みんな凄く嫌そうに運ぶ。

耐えるんだ!君がそれを頑張って運ぶことで、壁パネルを作る必要がなくなり、森林伐採に少しでもブレーキがかけられているんだ!

そして、「ヒッキー・カンクーントルネード」の初演にて、ハイバイドアは見事にデビューすることになるのだが、残念なことに本番直前のゲネプロ(劇場に入り、お客さんのいない状態で最初から最後までぶっ通す稽古)にて、暗転中に前後不覚になった俳優さんに体当たりされ、2つのうちに1つのハイバイドアは根っこからへし折れた。

めちゃテンパった岩井は、ハイバイドアの床板と折れた金属棒を持って劇場を飛び出した。

「直さなければ!」

本番まで2時間もない。

「でも、、直さなければ!」

テンパったあまり、自分がその日、どこに車を止めたのかも忘れ、全然関係ない駐車場を、巨大な金属の板を抱えて延々と小走りし続けた。汗だくである。いくつかの駐車場を駆けずり回った挙句、最終的に「車が消えた!」という解釈に至り、ドアも折れちゃってるしで、もはや

「世界が終わる!なんなら生まれてから今までのことも全部嘘だったんだ!!」

くらいまで大混乱して戻った劇場の前にフツーに止まっている岩井の車。
その頃には本番開始1時間前であった。流石の岩井も諦めた。

諦めはしたが、「終わった!」と、静か〜な気持ちで劇場に入り、舞台を眺めていたら、「ん?引きこもりの登美男の部屋にだけドアがある、ってことでも行けるんじゃね?」と思い、折れたドアはもはや使わないという選択をとる。

結果、当然ハイバイドアが2つあることを知らないお客さんにはなんら違和感を感じさせることなく、なんなら舞台上に1つしかないドアが、「引きこもりの登美男」の部屋へと続くものだから、意味合いとしても強度が増したわけで、結果オーライとなったのだった。

懐かしい話である。当時の「母役」はふざけたメイクを施した女性が演じていたが、暗転中にドアを追ってしまった後の、彼女の「ふざけメイクで硬直苦笑い」は一生忘れないだろう。


初演を終えた後日、通りかかった板金工場に飛び込みで折れたハイバイドアを持っていくと、巨大な金属階段を作っていた工員さんたちが7〜8人でわらわらと集まってきた。

「なんなん?これ。」
「え?ドア?」
「ハ〜ここで回るようになってんのか」

などと、めっちゃ興味深く迎えられ、仕事そっちのけでお互いに意見を出し合ってくれた上に、根っこの強度が以前の10倍くらいになった、

「新ハイバイドア」

はめでたくも復活を遂げた。

「お代?いいよいいよこんなの。遊びだろ?金は取れねえよ!」

と、ありがたいお言葉。
まだ、ハイバイドアとは付き合いが続きそうである。

しかし、20年前に作った台本もだけど、同じく20年前に作った舞台装置が、今も現役で使えているっていうのは、とても幸福だなあと思う訳です。

演劇に対する考え方、
「ああいう空間を作りたい」
とか、または
「あれだけは絶対に嫌」
でも良いんだけど、そういう執着の中から、

「この執着は今だけじゃなく、ずっと続きそうだな」

っていうのがあったら、それを視覚的に提示できる、例えば舞台装置を作ってずっと使っていけば、いつの間にかそれは劇団の、作家の特徴になってくれる可能性があるんだなと。

そんな僕と劇団と何人もの俳優さんを育てた「ヒッキー・カンクーントルネード」、是非見にきてください。ハイバイドアももちろん登場しております!

読んでいただきありがとうございます!いただいたサポートは作家部やnoteの運営などに使わせていただきます。