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からい人生を現在進行形で送っています。

2022年12月。
私は母の主治医からこう言われた。

「もう、来週から透析治療に移りましょう」

頭の後ろから鉄バットのフルスイングを受けた。
そんな衝撃を受けた。
……のは、透析受ける本人の母。

その言葉にボーゼン。
私自身は多分2022年以内に透析だろうと思ってた。

だーってねぇ。
食事を気を付けてるのは食事を作る私と娘。
当の本人は果物、野菜、漬物などなど。
腎臓に負担がかかる物をバカスカ食べてる。
で、運動は一切しない。

そりゃそーなるだろうよ。

私は母が腎臓片方無くした時から
透析について自分なりに学び準備を進めた。

しかし母はなんとかなるだろうと
なんの努力もしなかった。
その結果がこれだ。

この日、透析室に案内された私たちは
昭和感たっぷりな説明動画を見て
看護師さんからヒアリングを受け帰路に着いた。

毎週火曜日・金曜日が母の透析日。
私の休みは母の介助で潰れることになってしまった。

色々、自分で調べて学習してきたとはいえ
モデルになっているのは自力で歩ける人がほとんど。
母は車椅子だ。
母が車椅子生活になってしまったのは父が亡くなってすぐ。

私の母は18年前に父が亡くなったショックで
リウマチで処方されていたステロイドを
自分で断薬…簡単にいうと飲まなくなってしまい
(食事が取れなくなってしまったので、飲めなくなったともいう?)
長年、経口でステロイドを摂取していた母の体は
体内でステロイド物質が作れなくなり
結果「ガス壊疽」と呼ばれる症状を引き起こし
腎臓が腐ってしまった。
腐った腎臓から膿が出て、その膿は母の左足の神経を
殺しながら侵食。
極めて危険な状態で、その時の担当してもらった医師には

「救命確率は10パーセント無いです。」
そう言われてしまった。
腎臓はその時一つ取ってしまった。
摘出した箇所を仮止めし、膿で汚染された
内臓を洗浄して消毒してを繰り返した。
それから、2ヶ月。
意識不明の状態が続いたが奇跡的に目覚めることができた。

しかし、代償は大きかったと思う。
母の左足は感覚がなくなってしまった。
プラス、倒れる前から不摂生をしていたので糖尿病も発覚。
母は立って歩行することができなくなってしまった。

当初は立ち上がることもできていたが
今は立ち上がることもできない。
トイレも自分では行くことができないため
紙オムツ生活だ。

そんな人が透析になると
ものすごく大変だと思い知った。

私が今まで調べていた物や準備していた物は
役に立たないことが分かった。

今回恥を覚悟でこの記事を書いたのは
今後同じような症状で透析になる方の
少しでも役に立てればと思ったから。

本当は漫画にした方がいいのですが
なにぶん時間がなくて…。
それは追々。

シンママで自身も片足不自由。
そんな人が車椅子の透析患者を面倒見たら
どうなるのか!?

そんな話を書き綴っていきます。
よければ、お付き合いください。

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