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私の強迫性障害

※本記事はあくまで私個人の経験談です。障害について医学的な見解を提示するものではなく、正確性などについても保証できません。
※本記事は記憶に頼って書いているため、時期が不正確な可能性があります。
※画像は現在飲んでいる薬剤

強迫性障害、という病気をご存知でしょうか。この病気については、以下のような説明があります。

〈きわめて強い不安感や不快感(強迫観念)をもち、それを打ち消すための行為(強迫行為)を繰り返す。

強迫症の症状を強迫症状といいます。強迫症状は、「強迫観念」と「強迫行為」があり、このふたつが存在して初めて強迫症と診断されます。

強迫観念とは、きわめて強い不安感や恐怖感のことです。対象物がない不安や、「手が汚れているのではないかと気になって仕方がない」「家の鍵を閉めたか気になって仕方がない」など、ある特定の対象物に対する不安や恐怖です。
強迫行為とは、強迫観念を打ち消すために繰り返し行う行為です。たとえば「手を一日に何十回・何百回も洗う」「会社に行く途中に何度も自宅に戻って施錠の確認をする」などです。
普通の人でも不安感はありますが、この疾患では強迫観念・強迫行為によって日常生活に支障が出てしまいます。「施錠の確認で何度も家に帰っていたら会社に行けなかった」などです。

さらにこの疾患の特徴は、自分の行動が不合理だという自覚が患者自身にあることです。そのため「自分はおかしい」「周囲から変だと思われてしまう」という恐怖から、行動範囲が非常にせまくなってしまうことがあります〉
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-014.html

「手を一日に何十回・何百回も洗う」などの行為は、知らない人から見れば「潔癖症」などと思われるかもしれません。しかし、強迫性障害と潔癖症には大きな違いがあります。次の記事をご覧ください。

大雑把にいうと、潔癖症はまだ個人の好みの範囲であり、その行為によって生活に支障をきたしたり、苦痛を感じるのが強迫性障害、ということになるでしょうか。私が自分の病気に気づいたのも、その「行為」に苦痛を感じたことがきっかけでした。

病気に気づくまで

ひとくちに強迫性障害といっても、その症状は多様です。千差万別、大袈裟にいえば「人の数だけ」と呼べるかもしれません。
私の症状は、比較的わかりやすいものでした。最初に引用した記事にあるような、「手を一日に何十回・何百回も洗う」「会社に行く途中に何度も自宅に戻って施錠の確認をする」というものだったからです。
あれは、私が夜勤のアルバイトをしている時でした。トイレを済ませてから手を洗うのは他の人と変わらないと思うのですが、その手洗いが終わらないのです。
「今きちんと洗っただろうか」「この部分を洗っただろうか」「一度では汚れが落ちていないのではないか」……。このような事を考えながら、洗い終わってまた不安になり、また洗うのです。
自分が家を出る際には「窓の鍵をかけただろうか」「ガスのスイッチは切っただろうか」という不安が大きく募り、やはり何度も確認するのです。「今、一度確認したのだから大丈夫」とは思えないのです。「確認したはず、でも自分の記憶違いだったら……。」と考えてしまう。
はたから見れば「そんなことはあり得ない」となるはずですが、そうは思えないのです。「もしかしたら」という不安の方が圧倒的に大きく、その不安を解消するための行為を延々と繰り返してしまいます。
一番ひどい時には一時間ずっと手を洗っていたり、電車に乗り込んでから家の鍵を確認しに戻ったことがあります。不安に対処するために鍵のかかっている窓の写真を撮影したこともあります(これは今でもたまにやってしまいます)。
当時の私はメンタルヘルスに関する知識がほとんどなく、この状態を「酷く苦痛であるが、単なる心配性だろう」ぐらいにしか思えませんでした。
しかし状態はどんどん悪化し、アルバイトに遅刻するなどの弊害も出始めてきました。
「この状態」が何なのか分からない私は、とりあえずインターネットで症状を検索してみることにしました。「手を何度も洗う」「心配」などという単語で調べた記憶があります。色々な検索を重ねながら、ようやく「強迫性障害」という病気があることを知りました。

様々な症状

「手洗い」「鍵の確認」というのは比較的わかりやすい症状かと思われますが、細かいものを挙げるとキリがありません。いくつか思い出すものを記してみると、

・服が汚れた場所に触れた気がして着替える。
・自分のバッグが盗まれるのではないかと思って常に目の届く範囲に置く。
・スマホやスイカをポケットに入れたまま電車の席に座ると、横に座った人にデータを抜き取られるのではないかと不安になる。
・ATMでお金を下ろした時に何か忘れたのではないかと何度も確認しに戻る。
・その際の姿が防犯カメラに写っていて不審人物として警察に逮捕されるのではないか不安になる。
・自転車で人とすれ違うとその人を怪我させてしまったのではないかと思って立ち止まる。
etc

本当に馬鹿馬鹿しく見えて、自分でも思い出してもよく分からないものが多いです。しかし、どんなに馬鹿馬鹿しくて非現実的なものでも、一度「不安」に思ってしまうとどうしようもなかったのです。その「馬鹿馬鹿しい」不安を払拭するために、馬鹿馬鹿しい行動を取り、さらに別の不安が頭をもたげるという悪循環でした。1日のうちで気が休まる時間がほとんどなく、心身ともにどんどん疲弊していきました。疲れ切っているので生産的なことが何もできず、1日中家のソファーで寝転がっていることもありました。寝たままテレビだけつけっぱなしだったため、その時見ていた番組は今でもちょっとトラウマです。
こうしてようやくインターネットで自分の症状の病名らしきものを見つけ、私は精神科に通院することになったのです。それまでは、そもそも自分の状態が「病気」だという認識がなかったのです。

病気の悪化

私が精神科に通ったのは、これが初めてではありませんでした。大学卒業直後に就職したものの、どうしても職場に慣れずに体調を崩した時にも通院していました。その時は「適応障害」という診断を受け、入ったばかりの会社を辞めて実家に帰ってきていました。それからも幾度か通院したことはありましたが、いずれもそれほど長い期間ではなく、ごく短期間に終わっていました。今考えれば、それもよくなかったのかもしれません。
そして今回、現在まで続くことになる「強迫性障害」という病気を治療するために通院することになるのです。
私はカウンセリングは受けず、もっぱら投薬治療に頼っていました。おかげで、段々と症状も落ち着くようになっていました。このまま症状が軽くなり、昔と変わらない生活を続けられるようになるのではないかーーー。そう思っていました。
しかし、一度安定したはずの私の病状は、平成29年なかばごろから再び悪化します。この年の3月、私は処女作である『多田駿伝』を出版することができたのですが、喜んでいるのも束の間、その数ヶ月後に病気が悪化したのです。
強迫性障害は今も続いている病気ですが、この時期が一番酷かったといえます。様々な強迫行為によって心身は疲弊し、アルバイトをしばらく休むことになっていまいました。どうしてこの時期にこれほど病気が悪化したのか、自分でもよくわかっていません。一つ言えるのは、この時は「生きるのが苦痛」の毎日でした。趣味も楽しめず、ただ単に寝ているだけの日々が毎日続きました。食欲もなく、菓子パンを少し齧るのが精一杯の日々が続いたのです。体重も、だいぶ落ちていきました。

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