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#8月31日の夜に

夏休みの宿題をためこむタイプの子どもだったので、毎年8月31日には、怒涛のデスマーチのまっただなかにいるのだった。やってもやってもまだうず高くそびえるドリルに向かい、もう正解でも不正解でもいいから、鉛筆を走らせる。

自由研究はだいたいが貯金箱づくりだ。貯金箱づくりの何が「研究」なのかはわからないが、私と同様に、ちゃんとスケジュールをたてて宿題を終わらせなかった子どもは、始業式の日に、だいたい自作の貯金箱を持ってくる。いちおう何かをやろうとした、というアピールが、貯金箱というかたちをつくりだす。

もし私が小学生に戻ることがあれば、クラスメイトに聞き取りをおこない、夏休みの宿題を始めた時期と、自由研究のテーマ設定の関係を調べたい。夏休み初日から机に向かうような勤勉なひとは、自由研究に貯金箱を作るようなことはないと察せられる。しかしほんとうに小学生に戻ることがあっても、私はまた貯金箱をつくるはずだ。

算数ドリルは電卓をつかって処理していく。だから基本的には電卓に浮かんだ文字を答えの欄に機械的に写し取ってゆくだけの単純作業なのだが、試行錯誤した形跡がないと不審がられると思い、適当に筆算をしたり、わざと間違った答えをかいたり、消しゴムで何度も修正を行ったり、そういう偽装工作を行う。

読書感想文は、本文を長々と引用して、そのあとに「かわいそうだと思いました」とか、「よかったです」とかいうワードを付け足す。あと、あとがきの文章を、年相応の幼稚な文章に翻案して使う。夏休みの宿題で、私の悪知恵はどんどん磨かれていった。父と母は、呆れ顔で、しかし宿題をやらずにいるよりはましだから、私の不正行為を黙認する。

そうやって、ほうほうの体であらかたの宿題をかたづけるのだが、最後の難関が、夏休みの日記だ。あれだけ楽しかった夏休みなのに、旅行や花火大会などのビッグイベントをのぞいたふつうの日に、じぶんが何をしていたのか、さっぱり思い出せない。

いや、「夏休みこども劇場」で毎日アニメを観て、ゲームをやって、ミニ四駆を改造していたのだが、そんなことは書いてはいけないと思っていたので、空想の、あるべき夏休みを捏造する。ひまわりの観察をしたり、川にあそびにいったり、図書館にでかけたりする、美しい、架空の夏休みの出来事を空想し、1日ずつ埋めてゆく。

思えば、短い小説を書いたり、マンガを描いたりするまえ、このときに自分は架空のお話をつくりはじめた。物語を創作するという行為をはじめておこなったのだった。いいはなしだ。いや、いいはなしっぽく収めようとしているが、やはり宿題は計画的にやるべきだ。しかし人間は「べき」では生きていけない。悪知恵と創作は、おとなになってからもそこそこ役にたつときもある。

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