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鰯崎友×born

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鰯崎友の個人note+WEBマガジン bornでの記事、作品をまとめました。
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#note映画部

学生作品上映祭2019

先日は塚口サンサン劇場へ出かけてきました。目的は、私の母校、ビジュアルアーツ専門学校 放送・映画学科の「学生作品上映祭2019」。4時間ほど劇場にいて、10作品を観ました。 こんなにどっぷり学生作品にふれるのは数年ぶりで、なんとも懐かしい気分でした。ハリウッド映画なんかを観るのとはまったく異質な、身内感が漂っていて。 もっといえば、自分たちが撮った映画を観て、面白い、とか、つまらん、とか言い合ったりする、アットホームさと緊張感が両方入り混じっていて、これこそ学生作品を観る

『バジュランギおじさんと、小さな迷子』映画映画した映画のパワー

タイトルは『バジュランギおじさんと、小さな迷子』だが、おじさんというよりお兄さんというかんじだ。インド人の青年バジュランギは、嘘が大嫌いで心のやさしい、ナチュラルポジティブな男だ。反面、ちょっとマヌケ、というかだいぶマヌケな性格である。猿の姿をしているという神様、ハヌマーンを崇拝していて、猿を見かけると条件反射的に拝んでしまう。勉強は得意でなく、体はごついが相撲は苦手だ。相手と組み合うと、体がこそばゆくなって、競技の途中で笑いが止まらなくなるからだ。昔のコメディにでてくる、ち

イングリッシュ・ナショナル・バレエ『ジゼル』

イングリッシュ・ナショナル・バレエの『ジゼル』が斬新で面白いと聞いて、わたし、バレエ初心者なのですが、行ってきました。ロンドンまで15時間、優雅な空の旅でしたね^^ ……そんなわけはないのである。いち庶民が海外のバレエを観るのって、そこそこハードルが高い。しかし、庶民には映画がある。イングリッシュ・ナショナル・バレエによる『ジゼル』が、映画として先月末から全国各地で上映されていて、それを観に行ってきたのだ。 ナマのバレエの舞台を観たこともなく、知識もほとんどない。山岸凉子

『ボヘミアン・ラプソディ』天才と呪い

エンドロールがおわって、劇場に明かりが灯った瞬間に、拍手がおこった。誰もがこの映画の余韻に、1秒でもながく浸っていたかったのだと思う。いい年したおじさんやおばさんが、涙でくしゃくしゃになった顔を、少し恥ずかしそうにうつむけながら、ゆっくりと席をたつ。 いや、泣いていたのは彼らだけじゃない。私も泣いていた。妻も泣いていた。クイーンの歌を素敵だとは思っていても、当時の熱狂を知っていたわけではない。でも涙が止まらない。 劇場には、フレディ・マーキュリーがこの世を去った1991年

劇場版『フリクリ オルタナ』『フリクリ プログレ』

『新世紀エヴァンゲリオン』という90年代最大の話題作を生み出したアニメスタジオ・GAINAXにとって、エヴァ以降、どのような作品を作っていけばいいかというのは、結構たいへんな課題だっただろう。 『エヴァ』の監督の庵野秀明は、1998年の『彼氏彼女の事情』のあと、しばらくアニメ制作から遠ざかってしまった。最大の立役者が第一線から退いてしまったのだが、アニメファンの、GAINAXのSFアニメに対する期待値は天井知らずに上がっていた。私も『エヴァ』のイベントに通い、グッズを集めて

小津安二郎監督『東京物語』

シネ・ヌーヴォにて、小津安二郎監督の『東京物語』4K修復版を鑑賞。1953年の、モノクロ映画だが、そこは世界的評価を得た作品だけあって、はじめは古いな、という感じがするけど、それも一瞬、あっというまに作品の世界にひき込まれる。さすがだ。 よく言われることだが、小津のローポジション、ローアングルのショットは絶品だ。これ以上、削るものも、つけ足すものもない、完璧なバランス。『東京物語』の画面からは、幾何学的にかたちを配置する、例えて言うなら理系的な知性を感じる。パッションに任せ

『ソナチネ』かけがえのない夏の日

北野武監督といえば、夏を舞台にした傑作が何本も思い浮かぶ。『あの夏、いちばん静かな海。』『菊次郎の夏』などはまさにそうだし、『アウトレイジ』でも夏のシーンが多い。この作家には、夏という季節が似合っている。 私は、夏の、ギラギラした光と、日が暮れて訪れる夜の闇のギャップが、北野映画に存在するギャップとよく似ていると思う。過剰なまでに暴力的な描写と、反面、どこまでも静かな、叙情性をたたえたショット。北野映画には、このふたつの要素がいつも同居している。 北野の初期作品『ソナチネ

『レディ・バード』 はばたくとき

クリスティンは自分の名前が気に入っていない。だから彼女は本名ではなく、”レディ・バード”と名乗る。彼女は生まれ育った窮屈な地方都市と、貧しい家庭を憎んでいて、”なにか”になってそこを出ていきたいと切望している。しかし、なにをやっても中途半端だ。 わたしが映画学校に通っていた頃、恩師がこう言っていた。 「ストーリーは手段にすぎない」 目新しいストーリーを考えることは、誰でもやる。でも、斬新なストーリーが”物語”になるかは、別の話。そんなことを話しながら、先生が参考作品と

『Vision』生命は別れ、交わり、塊となる。

ハリウッド映画が、レストランでおいしく、安全に調理された料理だとすると、河瀬直美の映画は、屠られたばかりの獣の、血のしたたる肉の塊だ。生臭く、人によっては食中毒を起こす。 奈良、吉野。悠久のときが流れる生命の森。都市の暮らしに疲れて、山守として過ごす智(永瀬正敏)は、このところ、森の様子に違和感を感じるようになった。木々のざわめきや光の具合、空気が、どことなくおかしい。同じく森に暮らす老婆、アキ(夏木マリ)は、智に言う。「森の様子がおかしいのは、千年にいちどの時が迫っている

寺山修司【永遠に続く問い】

唐突だが、まずは以下のふたつの命題をご覧いただきたい。 ①「問い」は、「答え」を導くためにある。 ②「答え」は、「問い」を導くためにある。 このふたつのうち、あなたがどちらに共感するのかを、考えて欲しい。少し補助線を引いてみよう。①については、たとえばあなたがどこかの会社の株を持っているとする。「明日の株価はどう変動するのか?」と問うあなたは、これまでの株価の推移や、識者の展望、あるいは勘といったものを用いて、「明日の株価は上がるor下がる」という答えを得る。このばあい

『レディ・プレイヤー1』スピルバーグの魔法

さて、スピルバーグだ。周知のように、この人はお客さんをワクワク、ドキドキさせる天才なのだが、その仕掛けは驚くほど簡単。シンプルな手品ほど見破られにくいのと同じ。古い話になるが、『激突!』では主人公を執拗に追いかけてくるトラックの運転手の顔を一切映さない、ただそれだけの仕掛けであのなんとも言えない不気味さを描き出してみせる。また、『ジョーズ』では有名な「ダーダン、ダーダン、ダダダダ ダダダダ」というたった2音だけで構成された音楽でサメの襲来を知らせる。見ている我々はパブロフの犬

『花咲くころ』 友愛と抵抗のダンス

少年が少女に愛を告白する光景を、偶然あなたが目にしたとする。他人事なのに、こちらまで緊張してしまう。かつての自分の記憶を、目の前の二人に重ね合わせるかもしれない。 しかし、その愛のしるしが、「少女を誘拐する」ことであったら… 岩波ホール創立50周年記念作品として上映されている、『花咲くころ』は、ジョージア(グルジア)出身の女性映画監督、ナナ・エクフティミシュヴィリと、その夫であるジモン・グロスによって撮られた映画だ。エクフティミシュヴィリの少女時代、1990年代前半の思い

さようなら、高畑監督

高畑勲監督が亡くなった。長年、盟友である宮崎駿監督とともに、スタジオジブリのツートップとして素敵な作品を届けてくれたことに感謝したい。 正直に言うと、高畑の作品に関しては、出来にムラがあるなあ、と常々思っていた。『おもひでぽろぽろ』は、都会でOLとして働く、タエ子という20代の女性が、山形県にある親戚の農家に滞在する、というお話。農家の暮らしに強く惹かれたタエ子は、葛藤を抱えつつも農業に従事する人々の温かさにふれ、東京を離れる決心をする、というストーリーだ。この映画に関して

『ひなぎく』 女の子映画の決定版

最新の3DCGに、クリアな音響、カメラの性能も日々向上し、映画はどんどん進化してゆきます。名作とされる昔の映画を観て、なんだかチープだなあ…と拍子抜けした経験もあるかと思います。しかしながら、まれに、どんなに時代が変わろうともその輝きを失わない作品が存在するのです。『ローマの休日』を最新の機材で撮り直したら、あるいは『2001年宇宙の旅』を3DCGでリメイクしたらどうなるか。本家を超えることができるでしょうか。映画の歴史のなかで、ごく僅かな作品が、極北へとゆきついている。本日