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世界は当たり前に変わらない

 何もない毎日。何もしない毎日。

何かをしなければ、と思うけれど結局何もせずに今日を終えようとしている。

変わらなければ、と想うけれど結局少しも変われずに今日を終えようとしている。

私はきっと何にもなれないと諦め、何かになれる人なんていないし、みんな何かであるのに。

何もしなかったという罪悪感だけが積もってゆく

何かをしなければならないというわけでも本当はないだろうに

何もしない、ゆっくりしたことを充実したと考えられる日は来るのだろうか

忙しい毎日、時間がないという人は何をしているのだろう。とてもとても羨ましい。

私は本当にすることがなくて無駄に画面を見ることしか出来ていないのだ。

自分磨きの時間に使う気力とやる気が起こらない。

起こらないなら環境を変えて起こさなければならないのだろうが、怠惰である。

これはまさに怠惰であろう

しかし難しいのだ。そしてそんな当たり前のことを出来ない自分が嫌いになりそうなのだ。

もし今死ぬとしても特に悲しくはない。

積極的な死を求めることは勿論ないが(痛いのも怖いのも嫌いだ。この歳で死ぬのは老衰ではないから痛みか恐怖が伴うだろう)。

もし隕石が私のもとに落ちて一瞬で死ぬなら全く問題ない

こんな毎日に意味を感じられないのだ


とは言っても悲しむ人はいる。

家族は私のせいでその後一生暗い人生を歩むだろう

それだけの理由でわたしはまだ死にたくない

他者を考えないのならばいつでも大丈夫だ

毎日に意味を感じないとは言ったが、きっとこの怠惰も数年後もしくは数十年後に意味を持つだろう

人生とはそういうものなのだろう

だから少なくともそれが分かるまで私は生きなければならない。

私が死んでも世界は当たり前に変わらないとしても。

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