ピアノの魅力は十分伝わる。 --- 映画「蜜蜂と遠雷」レビュー ネタバレあり
と、いうわけで前回記事の続きです。
僕にはその良さがさっぱり伝わってこなかった「蜜蜂と遠雷」の映画をアマゾンプライムビデオで観てみました。
結論。良かったです。
原作をさんざん酷評して、じゃあ映画はどうなんだと割と前のめりで鑑賞に臨んだわけですが、原作の不満とかどうでも良くなっちゃいました。
作品の目指すところがピアノコンクールの魅力と頂点を目指す天才ピアニストたちの青春を美しく描くというところにあるとするならば、僕は十分に合格点をあげられます。
肝心の演奏シーンも少なくともサントラが欲しくなるくらいには魅力が伝わってきました。物語もバランス良く整理されていて、原作を読んだ人には色々削り過ぎているようにも思えるかもしれませんが、僕は適切な脚本だと思いました。あの分厚い小説を2時間の映画に纏めるのだから、そりゃこうなるだろうなと納得できた感じです。
もちろん、原作未読の方にとっては置いてきぼりにされたと感じる人も多いだろうとは容易に想像できます。風間塵の才能と周囲に与える影響についての描き方はまったく物足りないし、一方栄伝亜夜の苦悩についてはわかりやすく描きすぎかなとも思います。でもこの映画について言うなら、ドラマ・ミニマムの作りで正解なのでしょう。
役者さんたちは総じて好演だったと思います。少なくとも僕には全員ピアノを弾いてる「ふり」には見えなかったし、特に森崎ウィンのマサルは原作の人物造形に少し暖かみを加えて演じていて好感が持てました。レディ・プレイヤー1の時には特に何も感じませんでしたが、彼はこれからすごく良い役者さんになっていく気がします。鈴鹿央士も風間塵としての佇まいはピッタリハマっていて、無理に難しい演技をさせなかったことが成功しているなと思いました。栄伝亜夜を演じた松岡茉優は相変わらず達者な演技なのですが、先にも書いたとおり物語をかなり端折っているために彼女の役作りを十分に汲み取ることが難しくなってしまっていて、多少過剰に見えてしまうのがもったいないです。出来事の割に深く悩みすぎる、それでいて悩みの深さの割に簡単に立ち直ってしまう、そんな感じなのです。
そう考えると、ドラマパートはもっと大胆に削って3人の3様の天才ぶりを際立たせたほうが良かったようにすら思えます。僕には風間塵が指を痛めるのも、松坂桃李演じる高島や斎藤由貴演じる嵯峨と亜夜の対話も、なぜか砂浜に付き添うブルゾンちえみの独白も、加賀丈史のすべてのセリフや雄弁すぎる表情も、すべて雑音に感じてしまいました。特に登場人物の距離が近すぎることで、コンクールのスケールがものすごく小さいものに感じられてしまいました。そんなに全員を紐付けなくていいし、むしろもっとそれぞれの登場人物を突き放してよかった。栄伝亜夜の破顔は、最後のプロコフィエフを弾き切った直後の1カットで良かったのです。だってそうでしょう、彼女は「奏」という協力者もなしで一人でこのコンクールに乗り込んできているのですから、高島の言葉くらいのことは乗り越えて挑んでいるはずなんです。あそこで泣いてしまうから塵の演奏に呼応する感激がすごく薄れてしまった。塵という爆弾がなんなのか、最後に嵯峨は「わかった気がする」と言ってますけど、やっぱりあれでは何なのかわからない。いちいち言葉で説明する必要は無いけれども、映像からは素直に受け取れば、塵の存在は亜夜の才能を触発する存在以上のものではありませんでした。ここは原作でも語られていない以上、こうなってしまうのも当然という気がします。
こう書いていると僕がこの作品に対して不満たらたらみたいになってしまいますが、決してそんなことはありません。映画として十分楽しめましたし、原作の読後以上の充足感もありました。そのあたりはやはり実際に聴く音楽の力と松岡茉優さんの力量にねじ伏せられたといっていいと思います。今の彼女はどんな役でも、どんな脚本でもそれなりのレベルに持っていけるのでしょう。いい意味でも、悪い意味でもすごい女優さんになっちゃったなーと思います。限界集落株式会社で朴訥な田舎娘を演じていた頃が懐かしいです。
ここから先は余談ですが、映画的にすごく良かったなと感じたのはピアノを弾く手がすごくきれいに撮られていたことでした。僕の今の職業はシステムエンジニアですが、この仕事の入口はキーパンチャーでした。そして最初にキー入力を覚えたのは手動のタイプライターです。今ではほとんど見ることの無くなった手動のタイプライターですが、僕はこの手動タイプライターが大好きでした。一見このタイプライターとピアノにはなんの関わりも無いように見えますが、「キーを叩く」という行為はよく似ています。
今、パソコンでブラインドタッチタイピングができるという人でも、おそらくほとんどの人は手動タイプライターで文書を打つことはできないと思います。それはキーの重さ、そしてストロークの深さがパソコンのキーボードとは比較にならないほどに重く、深いからです。しかも、ゆっくりキーを押しても印字はできません。紙の上にあるインクリボンをパチンと「叩く」ことによって初めて文字が紙に転写されます。最初は非常に重たく感じて疲れますが慣れてくると非常に小気味よく文書を打てるようになり、「キーを叩く」行為自体が楽しくなってきます。原稿を見ながらリズミカルに文字を打ち切れたときには一種の快感を覚えることすらあります。そのせいか僕は上手くタイプライターを叩く人の手を見るのが好きでした。この映画では風間塵が練習用の音の出ない鍵盤を使って稽古をするシーンが何度かでてきますが、あの鍵盤はちょっと欲しいです。
それにしても映画の演奏シーン。役者さんてすごいですね。ある程度はちゃんと弾けてるようです。幾度となく画面に映される鍵盤を叩く奏者の手。それが役者本人の手かどうかに関係なく美しくて、僕はあの手だけ延々と流されても見ていられる気がしました。これは多分特殊な見方なんだと思いますがそんなことに感激しているやつもいるってことです。
というわけで、サントラもダウンロードしちゃったし、これからゆっくり聴こうと思います。
隠せないくらいののんさんファンなので、松岡茉優さん(と有村架純さんと橋本愛さん)についてはいつか日を改めて書きたいと思います。
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