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ドラマ「チェルノブイリ」を観て感じた映画のレーティングについて。

アマゾンプライムビデオにて、話題のドラマ「チェルノブイリ」をようやく観ることができました。実際の現場の様子、被害が広がっていく様子、放射能に蝕まれていく人体など、まあよくぞここまでリアルに再現したものだと感心しきりでした。

有名なチェルノブイリ原子力発電所爆発事故の話ですからネタバレもなにも無いわけですが、あらためてこうしてドラマを観ているとやっぱりこれは大した事故だったんだなあと改めて思います。日本からは遠すぎて、事の深刻さというのが伝わりきっていなかったのかもしれません。2011年3月12日の夕方、福島第一原発1号機爆発のニュースを車の中で初めて聴いたときの恐怖と絶望に比べたら、やはりこの事故は僕にとって他人事の範囲に収まる出来事だったのです。

そして今、福島第一、そして新型コロナの自粛生活などを経てこのドラマを観ると、巨大災害をコントロールする難しさと、人災を防ぐ難しさ、この両方の困難さが身に沁みます。ものすごく見ごたえのある作品ですのでお薦めします。

さて、ここからは少し作品のテーマからは離れてしまうのですが、ドラマを見ながらあらためて感じたことを書いておきたいと思います。

このドラマはさまざまな形で事故に巻き込まれていく人々の姿が群像的に描かれるわけですが、その中に放射性物質による被害を直接受けてしまうある夫婦が登場します。チェルノブイリに消火に向かう消防士ディアトロフと、彼の妻リュドミラです。原子炉が爆発事故であることなど当然知らされないまま現場で消火活動に当たるディアトロフたちは消防士は当然致死量の放射線を浴びることになり即座に病院送りとなります。彼を愛するがゆえにディアトロフにひと目会おうとするリュミドラ。そして感動的な再開を果たすのですがその時リュドミラのお腹の中には二人の子供が…。結局ディアトロフは助からず、二人の子供も生まれてきてわずか4時間で短い生涯を終えることになります。そして4話の最後に一人残されたリュドミラの姿が映し出されます。リュミドラがいるのはおそらく婦人科病棟です。

実はこのドラマ、家内は1話を見て「重すぎる」と言って早々に脱落したわけですが、脱落してくれてよかったと思います。

もう20年近く前の話になりますが、僕たち夫婦は死産を経験しています。原因は不明です。出産を目前にして突然胎盤が剥がれて僕たちの長男の息が止まりました。今だからこうして書くことができますが、この事実を受け入れることができるまで、旦那の自分でさえ相当の年月を必要としました。流産と死産の境目というのは僕もよくわかりませんが、一般的な流産と死産のイメージで話をさせてもらえるならば、死産の辛さは別格です。自分の周囲の人間はほぼ全員家内の妊娠を知っていてお祝いムード。親戚からはおくるみとかお祝いで頂いてたりする。家には新品のベビーベッド、揺りかご、べビーカー、哺乳瓶とウォーマー、とにかく一式揃っている。僕は一人家に帰って呆然とすることしかできなかった。家内はもっとつらかった。死産だから母体のダメージは出産と変わらない。しばらくは入院となるが、病棟は産科だ。時折元気な赤ちゃんの鳴き声が聞こえる幸せそうな母親の姿、初孫を喜ぶ面会の祖父や祖母たちの姿などが嫌でも目に入る。退院してからも胸は張り続け、風呂場で泣きながら一人母乳を絞り出す日々が続く。

時間というのはたいしたもので、それでも少しずつ心と体のダメージは回復し僕たち夫婦も日常を取り戻した、と思っていた矢先の出来事です。

ある日僕たちは映画を見に行きました。アルフォンソ・キュアロン監督の「トゥモロー・ワールド」という映画です。子供が産まれなくなった未来の話です。今思うと「そこで気づけよ」という話ですが、当時は二人とももう大丈夫だと思っていたんです。

トゥモロー・ワールドでは物語の中盤で物語の鍵を握るキーという黒人女性が陣痛に苦しむシーンが出てきます。これが予想外に長く続きます。これが誤算でした。家内は途中で我慢できずに映画館を飛び出しロビーで崩れ落ちるようにして泣き出したのです。僕は家内が落ち着くのを待って、彼女を抱えるようにして映画館を出ました。心の傷は全然癒えていなかったのです。

それ以来、僕たち夫婦は二人で観る映画の選択にとても苦労するようになりました。妊娠、出産、流産、死産といったシーンがありそうな映画は極力避けるようになりました。実際、妊娠や出産はドラマのファクターとして欠かせない物でもあるので、ある程度許容できるようになりましたが、さすがにこの「チェルノブイリ」の第4話のラスト、赤ちゃんの泣き声の中で呆然とするリュミドラのシーンは、家内の目に入らなくて良かったと心底思いました。このシーンで描かれていたのはまさに死産の残酷さそのものだったからです。

それで、僕はつくづく思ったのです。映画のレーティング、あれもう少し実用的なものにならないかなと。

ご存知の通り、現在映画のレーティングはPG12とかPG18という表示になっています。かつての成人映画という括りに暴力や反社会的行為などの色々な要素を加味して、見ていい、見ちゃだめを決めているようです。僕はこの今のレーティングは、食べ物に例えるなら「甘口」「辛口」ぐらいの区別でしかないと思います。10歩譲っても「辛さ1倍、2倍、5倍」とかの区別にしかなっていないでしょう。僕の皮膚感覚でいうとPGの数字が上がるほど刺激の強い映画、というある意味宣伝にしかなっていないと思うのです。

僕は映画のレーティングがもう少し映画の成分(内容ではなく、成分です)を示してくれるといいなと思います。食べ物に例えるなら「アレルゲン表示」です。人にはそれぞれ固有のトラウマがあるでしょうから、そのアレルゲン物質となる要素は無数にあると思います。ですからアレルゲン要素を分類、コード化して共有できないものでしょうか。例えば「交通事故」を100、「流産、死産」を200、「障害・身体欠損」を300、「闘病・不治の病」を400、「強姦、性的暴力」を500とか。まあパっと思いついただけですが、こんな感じにしたとします(実際にはもっと細かく様々な要素に分ける必要があると思います)。そうすると、「チェルノブイリ」の200と400、「トゥモロー・ワールド」の200だけでなく、「この世界の片隅に」にのような作品にも300と400が付くことになります。でもそれでいいと思います。「この世界の片隅に」では主人公が右腕を失いながらもさらに前向きに生きていく姿が描かれる感動的な作品ではありますが、その物語を受容できないタイミングの人たちも必ずいて、そういうわずかな人が「それを避ける選択ができる」ということが大切だと思うのです。良い映画はたくさんの人に見てほしい、すべての人に見てほしいという気持ちはわかりますが、良い映画だからこそ、見る人には不幸な出会い方をしてほしくない。

正直、こんなのはネットのレビューを見ればわかる話です。しかし、それがわかるレビューはネタバレです。いちいち見に行く映画を選ぶたびにネタバレレビューを読むのはなかなかに残念な行為です。避けたい人だけが避けられる仕組みが欲しいのです。僕が家内と一緒に映画を見るときは200の映画だけ避ければひとまず安心、みたいなものが存在したらいいなと。

あー、映倫が無理なら、filmarksでも、映画.comでも、みんなのシネマレビューでも、Wikipediaでも、JMDBでもどこでもいい。映画のデータベースを持ってるところがどこか始めてくれないかなあ。昨日もアマプラで「来る!」を見たら堕胎とか不妊とかの話で参っちゃいました…。

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