スピルバーグの長回し
以前書いた映画のレビューで私が長回しが好きだと書きましたが、その理由の一つがわかったのでご紹介します。
私は自分で映画を撮ろうとしたことは無いし、映画論を勉強したこともありません。むしろ一観客として一本の映画について撮影テクニックの分析をしたりするのは野暮なことだと思っているくらいです。
しかしYoutubeをザッピングしていて下の動画に出会ってこれはこれでとても興味深い内容だと思いました。
スティーブン・スピルバーグの長回しについて解説している動画です。
私の人生において、最も影響を受けた映画監督はスピルバーグであることは間違いありません。ジョーズが10歳、未知との遭遇が12歳ですから、世代的にバッチリ刷り込まれています。
スピルバーグはいろんなジャンルの映画を撮っていて、実際自分が彼の作品からどんな影響を受けているのかなんてことはわからないのですが、劇場で最も多く見ている監督であることは間違いなく、期待を裏切られたことはほとんどありません。
しかし、それでも上の動画は目からウロコの連続でびっくりしました。
彼の作品の至る所に隠されている長回しに自分は今まで彼の作品の何を見ていたんだろうという気になります。確かに明らかに絵的な面白さを狙った宇宙戦争のトライポッド襲撃シーンのような長回しもあるわけですが、そうではない、何気ないシーンのなかの自然な長回しとその効果にとにかく感心させられます。その多くは私は何度も目にしているのに長回しとは記憶していないシーンです。
それもそのはずで、この動画の解説によれば「スピルバーグの長回しはシーンが短時間になるようにデザインされている」ということらしいのです。
私は以前の記事で長回しの例として挙げたのは「さがす」の終盤の卓球のシーン、「星の子」のラストの家族で夜空を見上げるシーン、「宇宙でいちばんあかるい屋根」の主人公と同級生の男の子が喫茶店で話をするシーン、「ワンハリ」のディカプリオがカメラ目線で話すシーンなどで、いずれもカメラワークにこだわるというより、演技を止めずに芝居を見せるための長回しというシーンです。ですが、どのシーンも見ていて明らかに「長回し」だなと思わせるシーンでした。「さがす」や「星の子」の長回しはむしろそれを強調しているように見えます。
それが嫌いだという話ではないんです。むしろ好きなくらい。
ただその私がどうして長回しが好きなのか、その理由としてやっぱりスピルバーグで育ったからという理由は少なからずあるんだろうなと、いまさらながらそんなことに気が付いたわけです。そしてスピルバーグの作品に感じる「全体的にとても整理されていて見やすい」といった印象も、この長回しの使い方に起因するところがあるんだろうなと思いました。もちろんそれが全てではないのはわかってますが。
今まであまり興味を持っていなかった映画の文法ですが、ちょっとだけ興味が湧いてきました。
ちなみに、上の動画で例が上がっていた場面についてサンプルとしてまとめた動画がvimeoに上がっています。
とりあえずタンタンの大冒険はちゃんと見ようと思いました。
食わず嫌いはいけませんね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?