劇団ひとりのたけし愛が強すぎる --- NETFRIX「浅草キッド」レビュー
本作について語っている劇団ひとり自身も吐露しているように、彼は器用で、頭が良くて、優しいのだろうと思う。そしてたけし愛が強すぎるのだろう、本作は美しすぎるなあというのが最初の感想でした。
あれだけ心酔した師匠と袂を分かち漫才を選ぶということはとても非情な決断なわけだし、師匠を捨ててでも成り上がろうとするたけしのギラギラした部分や、その衝動に火を付けるような何かガツンとした出来事があったはずなのですがそれが見えて来なかった。だからなんとなくフランス座に飽きたところをきよしに誘われるままになんとなく辞めていくだけのように見えてしまったのです。そこさえきちんと描かれていたら、売れてからのたけしが深見のもとを訪れるシーンの印象もまた違っていたと思います。
僕は昭和40年生まれ。MANZAIブームは中学生、たけしがオールナイトニッポンで絶好調だったのが高校生。そしてその高校で落研に入り、浅草演芸ホールに通うようになりました。僕が知っている浅草はたけしがいなくなった後の浅草で、深見千三郎はとっくに引退。浅草には軽演劇の名残は全く残っておらず、僕は浅草演芸ホールで客が自分一人だけという経験を何度もしています。それでも夜の部の大トリにはそれなりに客が入って賑わっていたわけですから、とりあえず落語にはまだ客がついていたのでしょう。漫才は色物と呼ばれ、落語の間の息抜きのような存在でした。いや、すでに寄席で見る漫才とテレビで見るMANZAIはまったく別物という感じでした。確かに深見千三郎が現役のころから10年は経っていたので、当時と僕が知る浅草もまた本作の舞台からかなりの隔たりはあったと思うのですが、本当にどうしようもなかったですよ、浅草。その印象があるから、どうしてもこの作品はたけしに憧れる人のためのファンタジーにしか見えませんでした。
たけしによる原作がある以上「浅草キッド」はこういう話にならざるを得ないかもしれない。だけど、たけしが毒ガスを撒き散らしながら漫才師として成り上がっていく姿をリアルタイムで見ている者としては「浅草キッド」のたけしはおとなしすぎるし、いい人過ぎます。松村邦洋の演技指導は素晴らしいし、それを受けての柳楽優弥も最高の出来で文句のつけようがない。高望みだということは十分にわかっています。でもたけしは美談で語られるべき人ではないと、僕は思ってしまうのです。
しかし現代ではこういう作風にならざるを得ないのかもしれませんね。話がそれてしまいますが、最近ちょっと気になる出来事がありました。M-1敗者復活戦でのハライチの漫才です。以下、ネットの記事を引用します。
まあ、ハライチが滑っちゃったのが悪いっちゃ悪いんですが、僕は生で見ていてハライチまだまだ元気だなと思ってしまったクチなので、ネットで批判が殺到しているということに少々驚いたわけです。まあ確かにM-1という競技にはルールがあって、そこで戦う以上はルール守れと言いたくなる気持ちはわからなくもないけれど、ただこれ漫才でしょ?君らそんなことにイチイチ目くじら立てちゃってたらこの先面白い芸人なんて出てこないよ、と言いたくなってしまう。実際そういう人たちが一方で「浅草キッド」を見ながら「やっぱりたけしは凄いよね」なんて言ってるわけで、「浅草キッド」はそういう「型破りに憧れる正しい人たち」のニーズに合った作品なんでしょう。ハライチ岩井がパエリア作って食わずに捨てる気持ちがよくわかります。
それにしても柳楽優弥が意外と背が低いことに驚きました。闇金ウシジマくんやディストラクション・ベイビーズであれだけ大きく見えた彼が、あんなちんちくりんのたけしを演じることができるのかと不思議に思っていたのですが、見事にたけしでした。とても感心しました。役者ってホントすごいですね。
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