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ご無事を祈ります⇦それが全ての元凶だ! --- 映画「ホテル・ムンバイ」レビュー

ラグビー・ワールドカップが大変な盛り上がりで、海外から観戦に訪れたサポーターの皆さんも大いに日本滞在を楽しんでいる様子。私はあまり海外旅行に行くことがないので他国の事情はわかりませんが、治安の良い日本で、火器の乱射や無差別テロの心配をせずにお祭り騒ぎできる開放感はまた格別なんでしょうねえ。

そんなふうに思うのは、この映画を日本対アイルランドの試合が終ってすぐ後、ガラガラのシネコンで見たせいかもしれません。映画館の外の喧噪と、映画の内容とのギャップが大き過ぎました。日本で暮らす私たちは幸せです。

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この映画は、2008年にムンバイで起きたイスラム過激派によるとみられる同時多発テロのうち、タージマハル・ホテルでの出来事を中心に描いています。

事件当日、テロの実行犯たちはホテル1階の正面入口からロビーに侵入、機関銃を乱射。あっという間に下層階を制圧すると、下から順に手当り次第に客と従業員を殺して回ります。上層階に取り残されてた500人を超える宿泊客を無事に脱出させるべく、辛くも生き残ったホテルマン達が立ち上がるのですが…。

主人公は若いホテルの給仕、レストランの料理長、いかにも富裕層の宿泊客たち。個性豊かな人物像にシチュエーションも手伝って、以外にも華やかで古典的なグランドホテル形式のドラマになってます。ジャンルはまったく違いますが、私はタワーリング・インフェルノと雰囲気が似ていると思いました。

しかし、気持ちを強く揺さぶられるのは実行犯側のドラマです。

海上から上陸した実行犯たちは豊かに発展したムンバイの街並みを眺めながら、携帯電話のイヤホン越しに聞こえてくる首謀者の声にじっと耳を傾けます。

「お前たちが今目にしているのは、異教徒が我々から搾取したものだ。」

おそらく彼らは貧しい生活を強いられているのでしょう。そこから生まれてくる富める者たちへの無意識の怒りを、首謀者は言葉巧みに利用して異教徒襲撃のモチベーションに転化させています。この「首謀者」は最後まで画面に登場しない(現在も捕まっていない)のですが、物語全体において強い存在感を発揮しています。

実行犯の少年たちが怯みそうになると、すかさずイヤホンの向こうから「眼の前にいるのはお前たちと同じ人間ではないのだ、迷わず引き金を引け!」と激を飛ばしてきます。その声に押されるようにして少年たちは殺戮を続けるのです。実に卑劣です、ムカつきます。

それでも次第に実行犯の側にも葛藤が生まれてきます。私はこの葛藤の原因が、人を殺めることの罪悪感や同情心といった変なヒューマニズムから生まれてくるものではない点がこの映画を傑作足らしめていると感じました。

実行犯たちは最後まで異教徒を殺すことに迷いはないのです。しかし彼らに迷いを起こさせるのは他でもない、イヤホンの向こうの首謀者の言葉の変化です。

状況が切迫してくるにつれて、首謀者の指示が本来のイスラム教の教義から外れたものが増えてゆくのですが、年齢も若く純粋であるからこそ、少年たちは命令を許容する柔軟さを持ち得ません。任務を遂行するためには多少教義から外れる行いをしても構わないという"大人の判断"を、彼らは下すことができないために迷いが生じます。

さらに、おそらくこの作戦に参加することで親族に金が渡されることが約束されていたはずなのに、その約束が守られてなさそうだということもわかってきます。首謀者への不信感はますます強まっていきます。

そしてとうとう実行犯の一人が決定的な場面を迎えます。これまで自分が信じてきたものは何だったのか、そして今のこの瞬間に何を信じるべきなのかが問われる瞬間です。ある意味「命」とか「愛」とかそんな甘っちょろいテーマの入り込む余地が無いほどの重い選択です。

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物語の中盤で、周囲の反対を押し切って脱出を試みる男が、この先の無事を祈ろうとする料理長に対して「いらん、それが全ての元凶だ!」と返すシーンがあり、強く心に残りました。誰がどんな神を、どんな教えを信じているかわからないのに、他人の無事を勝手に祈るなんてことは、確かに傲慢なことなのかもしれません。

他人の無事は祈るものではなく願うもの、なんでしょうね。

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