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叔父さんの気持ちは複雑なのだ… -- 母の葬儀にて

※この記事は2019年9月1日のツイートに加筆したものです。

母の葬式で久しぶりに甥っ子姪っ子が集まった。それぞれお互い10年以上会っていなかったんだろうと思う。比較的歳の近い彼らはなにをどう話したら良いのかもわからず居心地悪そうにしている。その気持ちはわからないでもないので僕はニヤニヤしながら眺めていた。もうみんな大人だ。

30歳の前後10年間くらいは上手くいっている者とそうでない者の差がはっきりと出てしまう。全員が全員「何かが上手くいってるけど、別のことでは苦労してる」とかそれなりに相殺できるなら平和なのかもしれないけど、現実はそんなに甘くない。上手くいってるやつは何をやっても上手くいく(ように見える)し、上手くいかないやつはなにひとつ上手くいかない(ように見える)。まあ好きな言葉ではないけど「勝ち組」と「負け組」ってやつだ。

そんな彼らのうちの一人が、今は親戚の前に出られないというので、前日に密かに母と対面する時間をとってやった。最近の葬式は驚くほど簡略化が進んでいて、一日葬といってお通夜を省くことが許されている。従って前日に搬入、セッティングを済ませてしまえば、個人的に焼香できる時間が作れるのだ。

久しぶりに見る甥っ子は当たり前だが老けていた。母が長生きしてくれたせいで法事らしい法事もなかったため、会う事自体20年ぶりくらいか。若くて元気いっぱいの好青年の印象しか無かったもんだから、事前に話を聞いて心構えはできていたけれど、やはり変わり果てた風貌には少々面食らった。そりゃ通夜でも告別式でもないけれど、久しぶりにおばあちゃんに会うのにその身なりはなんとかならなかったのかバイトリーダー!

でもよく来てくれた。

僕にも闇雲に夢ばかり追いかけていた時期があって、その好き放題の生き方がひょっとして彼らの人生に悪い影響を与えたのかもしれないと思うと、多少の責任は感じてしまう。彼らは夢を追いかけた果てに人生がジリ貧になっていくことに苦しんだ時期の僕の姿を見ていない。今になってみればそこをこそしっかり見せておくべきだったのかもしれないけど、その時は僕も親戚付き合いから逃げまわっていた。

だから彼の気持ちは痛いほど良くわかる。僕にも歳の近い従兄弟がいて、そいつは僕とは正反対にしっかりまともな人生を歩んでいるやつだったから、一時期は眩しくてまともに顔を見られなかった。ただ僕が少しだけツイていたとするならば、それが景気の良かった頃の話であることとギリギリのタイミングで今のカミさんに出会えたことだ。おかげで今はなんとか人生を立て直すことができている。

まあ、僕の人生も取り立てて特別な人生ではないようで、昔僕が嫌ったつまらない一生の典型で終わるのかもしれないけれど、今ではそれもまた良しと思えるようになった。皆が皆そう思えるわけではないと思うし実際ずっと変わらずうまく行かずにもたもたしている人もたくさん知ってる。僕の甥も姪もどうなるかはわからない。上手くいくかもしれないし、いかないかもしれない。これからも僕は何も言わずに静観していくだけだ。

ただ、もしも彼らが僕の前で弱音を吐いたり助けを求めるようなことがあれば、全力で力になってやれる叔父でありたいとは思う。一番頼りになる金の持ち合わせがあまり無いのが申し訳ないが多少なら工面してやれる。身なりは悪いしボソボソ喋るし先々生活習慣病が心配な体型のおっさんになってはしまったけれど、それでも君は僕のかわいい甥っ子なのだという意識はびくともしなかった。僕は子無しだけれど僕の中にそんな父性めいたものがあるなんて今まで気が付かなかった。

頼りない叔父ではあるんだろうが、もうちょっと頼ってくれてもいいんだぞ、と甥っ子姪っ子どもに声をかけたくなるような気持ちを抑えるのが大変な、そんな母の葬式でした。

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