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余白に流れる時間は無限ーーー絵本「アライバル」 ショーン・タン(ネタバレあり)

カミさんに誘われて横浜のそごう美術館で開催中の「ショーン・タンの世界展 ー どこでもないどこかへ」を見てきました。「進撃の巨人展」以来カミさんはすっかり展覧会にハマってしまってちょいちょい付きあわされるのですが、今回は大ヒットでした。僕の中では「シド・ミード展」以来の大ヒットです。偉いぞカミさん!

オーストラリアのイラストレーターであり、作家、映像作家でもあるショーン・タンという人を私は全く知らなかったのですが、たしかに彼の描くいくつかの奇妙な生き物(キャラクターという言葉は使いたくない)は、なんとなく僕の記憶にも残ってて、ああ、あの人か!となりました。今回初めて彼の作品を真正面から見たわけですが、もう私はひと目で彼のイマジネーションの虜になってしまいました。奇妙で楽しげでありながら、どこか寂しげでもの悲しさもある。額縁の向こう側にある彼の世界は、展覧会のサブタイトルの通り私たちの住む世界のどこでもないけれど、それでもどこかに存在しているとしか思えないほど隅々まで血が通っていてあたたかい。とにかく魅力的なのです。

イラストレーターであり、作家、映像作家と紹介しましたが、彼の持ち味が最も活かされていると思われるのが絵本です。展覧会の催事場でも彼の描いた絵本が何冊も販売されていて、色々と迷った挙げ句、一番の大作である「アライバル」と、最近刊行された「セミ」の2冊を購入しました。今回は「アライバル」についてレビューします。

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物語はとある男のの旅立ちから始まります。旅立ちといってもそれは希望に満ちた物ではなく、禍々しい何物かに襲われている街を捨てて、他国で生きる道を探そうとしているのです。他国へと言っても、どうやらいきなり家族全員でというわけにはいかないらしく、まずは彼が一人で、危険が迫る街に妻子を残して異国に向かうのです。

巨大な客船に乗り込み辿り着いたのは、言葉から生活習慣まで何もかもが違う世界でした。家族を安全なこの国に呼び寄せるために、主人公はたった一人でこの国の市民として生きる場所を確保しなければなりません。主人公の奮闘が始まります。

やがて主人公は、この国で暮らしながら様々な人々と出会います。彼らも皆それぞれの不幸な境遇から逃れてこの国にたどり着いた移民たちです。この国では多くの移民が、互いにつらい過去を抱える者同士、支え合いながら逞しく生きているのでした。

そして新しい国で少しずつ自分の居場所が確保できてきた主人公に、ついに家族との再開の瞬間が訪れます…。

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私は不寛容な社会というのがとても嫌いです。だから自分も常に寛容であることを忘れずにいようと心がけていたつもりですが、この一冊の絵本によって、不寛容で偏見を持っている自分に気付かされてしまいました。

おそらく豊かとは言わないまでもそれなりに妻と娘と3人で幸せな家庭を営んでいた主人公が、ある日突然自分が暮らしていた街を追われ、見知らぬ国で生きていかねばならなくなる。それまでの自分のキャリアもなにも役にたたず、街角のポスター貼りみたいな賃金の安い仕事でも、とりあえずなんでも引き受けて稼がなくてはならない。とにかく稼いで、この町の市民としての居場所を確保しない限りは妻と子を迎え入れることもできないのです。主人公の新天地は一見とても豊かに見えますが、実は何か大きな力(国家権力或いは巨大資本?)が幅を利かせている格差の激しい社会に見えます。そんな社会で見ず知らずの国から一人でやってきた異邦人が暮らしていくためにはどうしたらいいのか…途方に暮れる主人公に救いの手を差し伸べる人物が一人、また一人とあらわれます。

実は私はどこかで主人公が「騙されてしまうのではないか」と、斜に構えながら読んでいたようです。しかしそれぞれに様々な困難を乗り越えてきたもの同士ですから騙しあったり、搾取したりというエピソードはほとんど出てきません。むしろ表現されるのはいたわりあう姿。主人公は他の移民たちに温かく迎えられ、少しずつ自分の居場所を確保していきます。この物語には「物語のために用意されたイベント」などは無いのです。真面目な主人公が苦労の末に多くの人に支えられて、報われる。シンプルな話ですが、そのシンプルさを前にして、私自身の不寛容さが暴露されてしまったような気がします。「いやいや、移民だらけの町で、これだけ格差が幅を利かせているような街で、善人ばかりのはずがない。きっとどこかで騙されたりするんだぜ。」そんな偏見が私の中には確実に存在していたのです。このもう一人の自分に気付いた時、私は軽いショックを覚えました。

私は多少の海外生活の経験はあっても、日本以外の国でその国の住人として暮らした経験はありません。移民の友人もいませんし、祖国を離れて他国で暮らす苦労など想像することもできません。ですが実際に私たちの住むこの世界でも、他国に新天地を求める移民というのはたくさんいて、彼ら一人一人に自国を離れなければならない理由があります。一口で移民と言ってしまうと見えなくなってしまう一人一人の物語に私たちはもっと想像力を働かせる必要があるのではないか…。この作品を読み終えた今、そんなことを考えています。

ショーン・タンは、この作品を作成するにあたって主人公の移民先の世界を1から構築しています。「1から」というのは、文字、生活習慣、日常品のデザイン、街並み、インフラ、自然、動植物、すべてです。しかし人物は極めて現実的かつ写実的で皺の一本一本まで緻密に書き込まれています。一見現実離れした異世界に写実的な人物を置くことでこの不思議な世界がとてもリアルに感じられます。展覧会で見たこの絵本の原画はほとんど鉛筆で描かれてていました。驚異の画力です。絵本ではその鉛筆の原画にセピア色の色相が加えられていて彩度によって場面の状況や季節感などが表現されています。今回、図録の購入を見送って、絵本を購入した理由は絵本こそが完成品だと感じたからです。絵本、買って正解でした。展覧会ではやはり作者がこの作品に込めたメッセージが十分には伝わりません。

この絵本は形式として3列×3段、もしくは3列×4段のコマ割りで物語が進められます。ある意味漫画的です。しかし一コマの密度はとても濃く、連続する2コマを見るだけでもそれがまるで動いているように感じます。よく映画館で上映されている映画は1秒間に24コマの画でできていると言われますが、その始まりのコマと終わりのコマが描かれているような感じなのです。それはつまり1コマ目と2コマ目の間の動きがもう完全に思い描けてしまうということです。勿論その動きの感じ方は人によって異なるでしょう。ですが、それこそが人間の想像力の面白いところで、この物語の世界が永遠に広がっていくのではないかと思えてくる所以なのではないかと思います。コマとコマとの間に挟まれる余白には読み手によって自在に変化する無限の時間が流れているのです。

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ショーン・タンは「the Lost Thing」という作品でアカデミー短編映画賞を受賞しています。こちらも彼の絵本が元になっている作品です。私も展覧会で作品の一部を見ましたが、あまり成功してるとは思えませんでした。CGの出来が彼の筆致とは程遠いこともさることながら、なによりも余白の無さに物足りなさを感じました。やはりなんでもかんでも映像化すれば良い、見せれば良い、というものではないのです。この「アライバル」も映画化の話は出ているようですが、作者は慎重な姿勢を取っているようです。賢明だと思います。少し安心しました。

私には子供がいませんが、もし子供がいたならこの本を読んで聞かせてあげたいなと思いました。この絵本には言葉はありません。すべて絵で語られます。お話も簡単ではないし、一コマ一コマを子供が納得するまで読み手の大人が自分の言葉で説明してあげなければならないでしょう。でも親御さんの生の言葉で読み聞かせられる物語は、ただ文章を読んで聞かせる以上に、子供たちにとっても新鮮な経験として記憶に刻まれるはずです。そして何より楽し気な街の風景や可愛らしい動物たちによって飽きることなく楽しめると思います。こういう時はお子さんのいらっしゃるご家庭がうらやましいと思います。

そごう美術館の「ショーン・タンの世界展」は10/18まで開催中ですが、もし興味を持たれた方がいらっしゃれば、ぜひ先にこの「アライバル」だけでもご一読されることをお勧めします。私ももう一度見に行くつもりです。

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アライバル ショーン・タン
河出書房新社
定価2,500円

2020/10/05 あらすじを一部修正しました。

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