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今、映画館で観る意味がある。 ー 映画「わたしは分断を許さない」レビュー ネタバレあり

新型コロナウイルスの猛威は一向に治まる気配が無く、全世界での死者は2万人を超えて感染者数に至っては50万人に迫る勢いだ。そのため世界中で都市封鎖、国境閉鎖が始まり、解除する見通しはまるで立っていない。新型コロナをネタになだぎ武で笑ったのが2月23日だったからわずか一ヶ月で世界がロックダウンしてしまったことになる。オリンピックは1年延期されたが、専門家の話ではワクチンができるまでは1年半から2年はかかるとのことだ。つまりその1〜2年の間、僕たちは物理的にズタズタに寸断された世界を生きなければならないということだ。

物理的にズタズタだけならまだいい。けれど治療法のない疫病がもたらすパニックとストレスは既に人々の心を着々と蝕んでいるように見える。中国とアメリカの感染源の押し付けあい、武漢ウイルス・武漢熱といったレッテル貼り、日本の入国禁止措置に対する韓国の過剰反応、日本の感染者数の少なさをオリンピック開催に向けた隠蔽工作と決めつけるもの、日本のクルーズ船対応を上から眺めていた欧米の現状を笑うもの、アジア人というだけでウイルスを持ち込んだと罵倒し殴りつけるもの、食料品や日用品の買い占め、奪い合い、そして銃器・弾薬を買い求めるアメリカ人。僕たちはこの世界と少なくとも1年は向き合って生きていかなくてはならない、人間らしさを失わないように、注意深く。

本作はジャーナリストであり、TOKYOMX「モーニングCROSS」やJ-WAVE「JAM THE WORLD」のMCとしても知られる堀潤氏が監督、脚本、編集、ナレーションを務めるドキュメンタリー映画。もちろん、新型コロナウイルス以前の作品だけど、それでも僕は今だからこそ見ておく理由があると思って、厚木まで足を運んだ。

僕はジャーナリストとしての堀氏の「バランス感覚」をほぼ全面的に信頼している。彼は滅多に持論を強弁することはないし、批判の対象を口汚く罵るようなことはしない。それは彼が主戦場とする電波メディアを「公共物」として認識していて、なおかつ自分自身が「公共を預かる立場」であることを自覚している人だからだ。現場で自分が感じた怒りをストレートに他者にぶつける、声を大にして叫ぶ、それも大切なことではあるけれども、そこに公共に資する心がないのならば、それはただの自己顕示欲の発露でしかないように思う。そういう心配が、この堀氏には無い。彼は声を荒げるかわりに自らカメラを持ち、淡々と事実を捉え、それを積み重ねることで、観るものに訴えかけてくる。問いかけてくる。しかも笑顔で。僕は彼を怖い人だと思う。

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この作品のテーマは「分断」。堀氏はパンフレットの冒頭で「この10年で、国内外の様々な社会課題の現場で「分断」が深まったと感じる。人々の疑心暗鬼は、やがて差別や排斥を生む。」と述べている。

堀氏自身が足を運んで取材した現場は膨大だ。香港に始まり、福島、沖縄、カンボジア、パレスチナ、北朝鮮、そして東京出入国在留管理局。それぞれの場所でそれぞれの形で発現する「分断」の姿が浮き彫りにされる。個別のトピックについて書いていくとそれこそどれだけ文字数が必要になるかわからないので、公式サイトを見ていただきたい。

むしろ僕がここで書かなければならないことは、公式サイトにもパンフレットにも書かれていないことだと思う。つまり、新型コロナウイルス後にこの映画を鑑賞する意味についてだ。

今日、この映画を観終わってスマホの電源を入れて最初に目にしたニュースがこれだった。

牛肉振興へ「お肉券」構想 経済対策、自民で浮上―新型コロナ
 新型コロナウイルス感染拡大に伴う経済対策として、国産牛肉の購入に使える「お肉券」(仮称)を配布する構想が自民党内で浮上していることが25日分かった。訪日外国人客の激減などで需要が低迷する和牛の消費喚起が狙い。ただ、日本全体に逆風が吹き付ける中、牛肉に特化した振興策には異論も予想され、実現するかは不透明だ。

あまりに低レベルで笑ってしまったのだが、すぐに映画に登場する福島の被災者の深谷さんに思いが至った。深谷さんは計画的避難地域に居を構えていたため、住まいを追われて避難生活を送っているが、その避難先で「あんたは賠償金たくさん貰ったんでしょ?」という悪意のこもった言葉を浴びることになる。言葉のひとつひとつよりも「実はみんな内心そんなふうにみているのではないか」という思いがことのほかつらそうだ。

なのに、牛肉振興券だ。

もうがっかりだ。和牛利権なるものが存在するのかどうかはしらないけれども、今そんな偏った助成をしてどうなるというのだ。今深谷さんの話を見ているだけに、事の異常さがよくわかる。和牛はお笑いで終わるかもしれないが今の政府の経済対策をみていると、富裕層とそうでないもの、正規雇用者と非正規雇用者・フリーランサー、そして業種の違い。分断の火種が山ほどありそうだ。「助ける」「支える」ということが容易でないことがよくわかる。

物語の終盤、深谷さんが久しぶりに帰宅困難区域の自宅に戻る場面がある。大好きだった自宅が荒れ果てているのを見て失われた日常を振り返る。その瞬間まであった日常が突然壊れてしまった。帰宅困難区域の風景は、封鎖した欧米の都市の姿と重なって見える。昨日まであった日常が壊れつつある。昨日まで足を踏み入れることができた場所に、今は近寄ることができない。そんな日が僕たちにも訪れようとしている。東京の感染者数は昨日から急激に伸び始め、小池都知事が都民に週末の外出自粛を要請した。深谷さんは朽ち果てた我が家を見て現実を受け入れた。僕たちはこれからの生活の急激な変化を受け入れる準備をしなければならない。

多分、この映画について、どーせモーニングCROSSやJAM THE WORLDでやってた内容をまとめただけでしょ?と思う人もいると思う。僕もそう思っていた。でもそれは違った。僕は上で「物語」と書いた。この作品はある意味「分断」に巻き込まれた人たちの群像劇になっている。モーニングCROSSで問題として取り上げるトピックは1日1件が限界だ。時間がくれば「では次の話題です。」の一言で話題は次に移ってしまう。だが今動いている問題に「次の話題」なんていうピリオドは存在しない。どれも、何一つ解決していない。それぞれの問題が主役を変えた物語として登場することで大きなテーマが見えてくる。一つの時間の流れの中で並行してそれが起きている現実に強烈な疑問符が頭に浮かび上がる。これはモーニングCROSSやJAM THE WORLDで取り上げているのを何度見ても、聞いても得られない感覚だった。

そしてもう一つ、映画館の暗がりの中で集中して問題に向き合うことで得られることもたくさんある。GoProの登場やスマホの撮影機能が上がったせいだろう、冒頭の香港の騒乱の映像は映画館の大画面で見ても極めて鮮明でより原寸大に近く感じる。これらの映像は散々モーニングCROSSやYoutubeで見ている映像のはずだが、受ける印象が全く違う。映画館の画面で観る香港のデモの喧騒はものすごい臨場感だ。抗議する市民に対峙する警官の怯えた眼の光から冷静さが消えていく様子、そしてあの有名な警察官が学生に向かって拳銃を発泡してしまう映像も大画面だと撃たれた学生の顔からどんどん血の気が失せていくのもくっきりと映し出されていて、彼の体温まで感じるようだった。この怖さはスマホの画面では絶対にわからない。堀氏が映画にこだわる理由もうなづける。

おそらくtwitterで発信すればすぐに多数のRTがつくだろうし、Youtubeに流せば多くの再生回数を稼ぐことができるだろう。でもそれでどれだけのことが伝わるのか。むしろ観るために、知ろうとするために映画館に足を運ぶ本気の人にこそ伝えたいという気持ちが伝わってくる。映画だからこそ伝わるものがある。スピードが全てではない。

本作は、紛れもなく映画あるべき作品であり、映画館で観るべき作品だと思う。今このご時世で映画館に足を運ぶのはなかなか難しいかもしれないが、お近くで鑑賞できるチャンスがあるのならば、ぜひ見ていただきたい。世界がどうなるかわからない、今だからこそ。

現在公開中。劇場情報はこちら

映画館を出たら、桜の花のほころび具合が正に映画のラストシーンのそれと同じ頃合いで泣けました。

2020/6/7 読み返したら誤字だらけだったので修正しました。恥ずかしい…。

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