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『アメリカにとっての自由とは、偽る自由だ。』--- NETFRIX ターニング・ポイント: 9・11と対テロ戦争 レビュー

僕はあまり海外の紛争とかに詳しいわけではないし、軍事や外交に特別興味があるわけでもない。でもさすがに近年アフガニスタンで起きた出来事については気になっていて、ちょいちょいネットの記事やtwitterなどで記事を探ってみたもののなかなか良い物に巡り会えなかった。なんといっても20年は長すぎる。しかもその間に起きた東日本大震災のおかげで記憶がブツ切れで、アルカイダ、タリバン、ISと個々のテロ組織の名前は知っていてもそれぞれの違いもわからなければそれぞれがアフガニスタンとどう関係しているのかもよくわからないような自分にとっては、このドキュメンタリーはとても参考になった。

構成は1シーズン5話で、1話1時間。つまり5時間でソ連のアフガン侵攻から米軍のアフガン撤退、タリバンのカブール制圧までの一通りの流れを掴むことができる。サブタイトルに9.11と入ってはいるが、事件当日の出来事よりも、それを境にアメリカがどのようにして終わりの見えない対テロ戦争に突入していったのかを、当事者の証言と共に掘り下げていく。確かに僕は9・11以降、アメリカが対テロ組織撲滅にとても力を注いだことは知っている。フセインのイラクをぶっ潰したことも、ビンラディンを暗殺したことも知っている。トランプがアフガニスタン撤退を宣言し、バイデンがやり方をしくじったことで大きな混乱が起きていることも知っている。でも途中で東日本大震災というあまりにも大きな出来事が僕たちの住む日本で起きてしまったために、アメリカとテロ組織の戦いについてはぶつ切れの知識しか頭にない。それが、この作品を見てようやく一本の流れとして理解できた。

この映画のタイトルになぞらえるならが、アメリカにとってのターニング・ポイントは9・11後に決議された「武力行使のための権限要求」だ。決議文ではテロ攻撃を計画し、許可し、保護した者、実行犯、実行の援助者に対しての武力行使を認めている。しかも、実行前の予防の権限さえ認めている。大統領の武力行使に対して、場所や時期、方法の記述はなく、9・11と関連するあらゆる国、組織、個人が対象。明らかに範囲が広すぎるが、反対の声は9・11後の空気前に押しつぶされてしまう。反対票を投じたのはたった一人。反対の声を上げた議員はそれだけで反逆者扱いだ。さらに恐ろしいのは、その後ブッシュが世界各国の首脳に「アメリカの味方になるか、そうでなければ敵と見做す」と電話をかけていることだ。この時ブッシュは同時多発テロの3000人近い犠牲者という「絶対正義」を手にしていた。これに歯向かえる者などそうはいない。しかし、これを機にアメリカは得体の知れない「対テロ戦争」に突入して結果的に2400人を超える戦死者を出してしまうのだが、この犠牲を悼む声はあまりにも小さい。

印象的なシーンがあった。薄闇の戦地を歩きながら米兵が愚痴をこぼす。少し長くなるが丸ごと引用してみる。


やっと電話できた。

”会いたいわ”とか何とか言われると思ったらそんなことはない

"みんな元気よ、パーティーして楽しんでる"

僕が元気かさえ聞かない

僕らが任務についてることを、誰も気にしてない

もう誰も9・11の話さえしない

僕はそのためにここに来たのに

NETFRIX ターニング・ポイント: 9・11と対テロ戦争 1−4 良い戦争より

そう、これほど長い間アメリカが対テロ戦争を続けてこれたのはなぜか。それはある意味で国民に偽り続けてきたからだ。

「大丈夫だ、すべてうまくいってる。我々はテロを撲滅する。」

そういってアメリカは現地の悲惨を覆い隠してきた。いみじくも帰還兵がインタビューに答えてこんなことを行っている。

ある夜アフガニスタンの監視塔で
アメリカの自由とは何か
自由の意味を悟った
それは偽る自由だ

NETFRIX ターニング・ポイント: 9・11と対テロ戦争 1−4 良い戦争より

僕にも思い当たるふしはある。タイミングこそ違うかもしれないが、「大量破壊兵器が存在する証拠を確認した」としてブッシュのイラク侵攻を真っ先に支持したのは、日本の小泉純一郎首相だったと記憶している。あの場面で日本の首相が後ろ向きな発言などできるわけがないのもわかる。今になって彼を責めるつもりはない。だけど、ブッシュの戦争を「正しい選択」として後押ししたのは間違いない。当時の僕はまた小泉総理のパフォーマンスが始まったとは思ったけれど、その向こう側、見えない悲惨を真剣に考えたことなど一度もなかったと思う。幸か不幸かテロ行為に縁の薄い日本に生きる僕には「対テロ戦争」はどこか遠い世界の出来事だった。だけど現実にはその延長線上にある「遠い世界」では2400人の米兵が戦死し、15万人のアフガン人が命を落としている。

繰り返しになるが、ターニング・ポイントとなったのは絶対正義の前に止めることができなかった「武力行使のための権限要求」の可決だ。

僕は今、なんだか世の中はあの時の状況に似てきていると思う。

先日も、米国が決定した「北京冬季五輪の外交ボイコット」。バイデンは「人権問題」を絶対正義と位置づけて世界に踏み絵を迫っている。残念ながらブッシュ政権時に比べてアメリカの力が弱まってきているせいか、思うような賛同を得られていないようだが、日本ではボイコットすべきという声が少なくない。それに対して岸田政権は慎重な姿勢を見せているものの、ネットではもうそれだけで「媚中政権」「弱腰」といったレッテルが貼られてしまう。一度ついたレッテルは容易なことでは剥がれず、なにをやっても馬鹿の一つ覚えみたいに「売国政治家」として非難される。その一方で「対中非難決議を提出すべき」とする高市早苗政調会長には絶賛の声を上げる。僕には彼らの思考が停止しているようにしか見えない。

中国は「テロ」ほど抽象的な存在ではないし、ウイグル人への弾圧も中国が認めたわけではないものの、香港の情勢を見ていれば確かに事実でもおかしくない。それに具体的に尖閣諸島や南シナ海の行状を見ても、日本が国家として黙ってみているわけにはいかない状況であることも否定しない。でも、だからといってそれを持って「対中強硬姿勢」のみを絶対正義としてそれ以外を全否定してしまう今の姿勢はあまりにも危険すぎやしないか。優柔不断な態度は日本の信頼を失うとかいう論調もあるけれど、そんなに簡単なことなのか。河野太郎の「威勢のいいことを言っていればいいとの無責任な声が今増えている」という懸念は、もっともだと思う。僕は問いたい。中国に対して非難決議を行って、その先はどうするつもりなのか?外交的ボイコットをして、その後の道筋はどう考えているのか。落とし所をどこにおいているのか。一度こじれてしまえば簡単に仲直りなどできはすまい。それが、この国や地域に資することなのか。米軍の司令官がアフガニスタンの任務につくにあたって時の政府にこの戦争の勝利の定義をたずねた所、政府は答えることができなかったという。それと同じ道を歩もうとはしていないか…。

対中政策だけじゃない、環境、人権、差別といった問題に対して、あらゆるところで絶対正義の萌芽を見て取ることができる。COP26とか人権サミットとかも、わかりやすい敵を作って後戻りを許さない正義を生みだそうとする行為にしか見えない。どちらも今のところはうまく行っていないのが幸いだが、それだってあくまで「今のところは」だ。どこのどんなきっかけで引き返せない正義が生まれるかわからない。でも生まれてしまえば間違いなくその瞬間が次のターニング・ポイントになるはずだ。そして今度こそは米軍だけの話では収まらない。あの時、あんな決定さえしなかったら…そう思ったときには、取り返しがつかなくなっている。この作品はその取り返しがつかない怖さを、嫌というほど教えてくれる。

それにしても去年の「オクトパスの神秘: 海の賢者は語る」もそうだったが、NETFRIXのドキュメンタリーは本当にすごい。あの悲劇から20年のタイミングでこんなドキュメンタリーを作ってくる。ちなみに今回レビューでは細かく触れなかったが、この戦争のまさに負の側面といえる「アブグレイブ収容所」の出来事についても詳細に触れている。米軍が何をやったのか、ちゃんと教えてくれる。やはり戦争は狂気しか生み出さない。

あらゆる人に、見て、考えてほしい作品です。


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