水音

 身体を洗って湯船につかろうとしたとき、思わず足が滑って、ドポン! と音を立てて入ってしまった。揺れ動く水面、ゴポゴポと奥の方で音が鳴る。勢いあまって鼻に水が入って、ツーンとする。そんな事態に、私は数秒間びっくりしてなにも動けず、そしてちょっとだけ笑ってしまった。

 思えば、そんな水の音を最近ほとんど聞いていなかった。穏やかな水の音(生活音)は聞いていたとしても、そういった派手な音というか、水がカタマリみたいになって鳴らす音というか、そういうものは全く聞いていなかったなぁと考えてしまった。

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 この夏あたりからずっとプールに行きたいと思っていた。今年の春夏によく家で筋トレをしていて、ダイエッターさんの動画とか、それに関係した動画を見ると、有酸素運動も大事とよく話していたからだ。それでも、走るのは苦手、歩くのも面倒という考えが頭をかすめていた。けれど、水泳も有酸素運動であると聞き、あぁプールで泳ぎたいなぁ、と思っていた。

 小学生のころ、兄も通っていた影響もあり、近くの水泳教室に通っていた記憶がある。だからカナヅチではないのだけれど、高校になってプールの授業がなくなり、めっきり水の中で泳ぐという機会がなくなってしまった。

 水泳教室の、あの、何とも言えない独特な匂いをもう体感する機会はほとんどないのだなぁと思うと、なんとなく切ない気持ちになる。泳いだ後に温水につかりながら話した相手は、いったい誰だっただろうか、顔も思い出せなくなってしまった。

 機会がなくなった今でも、プールで泳ぎたい、と思うのは、きっと小さいときに泳いでいた記憶が、自分にとって良いものだからだと思う。小学校のプールは外にあるプールだったので、水の中に潜ると太陽の光できらきらと反射する水の中がとても好きだった。友達の声がくぐもって聞こえ、このままずっとこの空間にいたい、そんなこと思いながら鼻から息を吐きだすと、ブク、と泡が控えめに音を立てる。そしてどこかで友達が勢いよく飛び込むと、水の中は荒れ果てるようにして音を立てる。先生が怒る声が遠くに聞こえながら、私はその水の中で誰にも共有できないあたたかさを感じていた。

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 お風呂の中でその音を聞いて笑ったのは、もしかしたら私はプールで泳ぎたいんじゃなくて、あの水の音が聞きたいのかもしれないと思ったのだ。水にしかできない、壮大な、派手な音。私はその音が聞きたくて、泳ぎに行きたいのかも。あの小学生のときに感じたあたたかさを、今、感じてみたいのかもしれない。

 世の中にはいろんな水の音が存在する。顔を洗うときのバシャバシャという水の音はなんだかすがすがしい気持ちになるし、寝ているときにキッチンの方から聞こえてくるポタポタという水の音ほど人を不安にさせるものはないと思う。秋保大滝の音はどこか自然全体が奏でるような音だったし、カナダにあるナイアガラの滝は水ってそんな音を出すものなのかというほどに、ドドドと、水の力を見せつけるような音だった。

 今度プールに入ったとき、私はきっと耳をすませる。真剣な水の音。楽しそうな水の音。ゆったりとした水の音。私が泳いだ水しぶきが、光によって輝き、またプールの中に溶け込む。そのときの音は、どんな音なんだろうと想像する。なんだか、涼しくなってきたなぁ。

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