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「それおれに関係あんの?」

おそらく自己啓発本に載ってくるようなポジティブな内容ではなく、あくまでこれまで私を許容してくださった上司や同僚から教わった、受動的な目線で感銘を受けた考え方や言葉について発信する内容となります。

終わらない転職氷河期においては、結局のところスキルや実績が新天地を呼び込むきっかけたり得ますが、どうしようもなくなったときには他人から受けた考え方や言葉が自分を整理したり後押しするものだと思います。前置きとさせていただきます。(使用可能なものを検索して写真を使わせていただいております。)

檄(げき)

いや~きつかった。上京するまでアルバイト等で社会に出た人間と触れ会うこともせず、地元の方言でない言葉で叱られることの疎外感。私にだけ優しくないのではないかと思わせる絶望感。でも失敗は失敗、私が言われた通りに対応できなかったのが悪いです。発端は私が指示された作業中、他の方の作業を手伝うことを優先したがために、指示された作業の完了を遅らせることになった結果、先輩に言われた言葉。本来なら、イレギュラーなことがあればそれを乗りこなしたうえで、作業をこなすべきだったろうと思います。


芽生え

思うことはあれど、当時の私はそうだよな、先ずは自分の仕事をとっとと熟す(こなす)べきだよなと言い聞かせていました。それからも同じチーム内で何故出来ないんだと叱られ続けました。同期の中でもめちゃめちゃ叱られてない?大丈夫?と気を使われたり、自分達が教えてもらう以上の作業をしていたためか、え?同期だったよね?とか、挙句ほかのチームの先輩からはえ?前から居たよね?と言われる始末。本来なら段階を踏んで教えられる責任ある仕事を当初から任せていただけていた様ですが、失敗が続く自分にこのままでは駄目だと、どこかで自身にスイッチが入り、自分を変えようとする感覚が芽生えたのを覚えています。


意識していたこと

「並列で思考し続ける」必要がありました。自分のチームの仕事をしながら他のチームの仕事との兼ね合いを意識しなければならず、自分のチームの仕事が終われば他のチームの仕事を手伝う。当日のスケジュールを熟しつつ、明日以降の準備もしなければいけない。業界の特性上、イレギュラーな対応は当たり前に起きて、それが目まぐるしく移り変わったりして。思考し続けるうち、仕事のことを考えながら趣味や晩ご飯のことを考えたりすることができてしまっていました。スイッチが入る前後、仕事中に意識することがありました。



もう叱られることは気にしない
けれどそれで絶対に覚える
同期同士の集まりには入らない
誰よりも多く荷物を持つ
誰よりも速く動く
責任ある仕事である自覚を持つ
要領よくやるために
ずっと頭を回し続ける



自律を求められて

私が配属されたチームは、各個人が実績があり、信頼されている人、我の強い人が集まっており、社内でも浮いていました。協調するというよりは、すごい人同士が高めあい、結果的にどこより成果が出てしまうような、特殊なチームでした。だからこそ先輩方はやり方を含めて仕事に自信があるし、強い言葉に揉まれてきたのだと思いますし、私にもそうなって欲しかったんだろうと思います。配属された当初はそんなことを客観的に知ることもできませんでしたし、渦中に居る私はがむしゃらについていくしかなく、文字通り馬車馬のように働きました。


千尋の谷に

求人票の1ページ目を開いて、東京に行けると社会に飛び込んだ、社会の何も分からない子供。新しい何かに向き合うことって、自ら飛び込むのと同じですよね。入社して数カ月、何かがひとりでできたとき、同じ先輩から「いいじゃん、次も頼むぞ」と褒められました。それは駄目だずるい。泣いてしまいそうでした。先ほどのように思い直してみれば、我の強い先輩方だからこそ、私にただ喝を入れただけのかも知れません。変わらなきゃいけないと思い考え続けました。そんな状況で辞めようと思わなかったことが不思議ですが、仕事に追われるにつれ我慢強くなりましたし、自信がついたことで、他の方と同じように強い我が生まれたんだと思います。社会の色んなものに慣れていって、当時ほど突き進むような自身にはもう会えませんが、現在の我慢強い人格の土台を創り上げられた時間に感謝しています。1分1秒を争う業界で働きたい方は是非。