見出し画像

結末のない物語

これは、どうなったのか、私にすら、わからないこと

ハッピーエンドであってほしく
バッドエンド、サッドエンドであってほしくない物語

少しばかり昔は
守るための法整備が、まだ成されておらず
一方で
個人情報保護法に遮られるという
いびつな時代の話で
己の無力さを、痛感した
悲しく、つらい経験を
贖罪の意味を込めて綴っております。


かつてのある時期、私は部下数人を率いるチームの
教官をしており、その時の一人に
若いのに、ちょいとした色気がある子がいました。
母子家庭で、子供3人を育てていて
仕事も、それなりに出来る人
(仮の名を洋子としておきましょう)

チームメイトは仲が良く年齢が近かったり
配偶者の有無の違いがあっても
子育て世代の気安さから
プライベートでも、子供同伴の交流があって
それなりに皆、楽しんでいました。


ところが、親しくなっていくと、次第に
おかしなことに、気づいたのです。

洋子の子供が、度々、居なくなるので
其のたびに、仕事を中断しては探す羽目になります。

営業職でしたのでクライアントのアポが入っていなければ
多少の柔軟性は忖度されていました
幼い子供を抱える方に働きやすい環境で有ったのも確か
その利点を活かし、緩急つけることで
良循環な環境を維持しておりました

しかしながら、いくら何でも
小学低学年の子が、夜になると所在不明になるのは
何かおかしいと、疑惑がどんどん膨れていき
部下の一人を、問いただしたところ
私の知り得ているよりも
はるかに多くの回数居なくなっていました。
そして、洋子に内縁の男がいるとも。
この二つの事実から導き出されることは
たった一つです

動機がして、危険信号が灯りだしました。


あれは、8月の日中、その子を探していたら

「いた!」

フードコートのある、デパートに入っていくのが見えて
慌てて追いかけていくと、愕然とする場面を目撃してしまいました
 
万引きをしてる・・・。


真夏なのに、小さな窮屈そうな雨靴を履いていて
ぶかぶかなTシャツの襟首が斜めに伸び切り
片手でめくりあげた裾をくぐらせ
反対の手で短パンのお腹の所に
食べ物を、挟み込み隠した

距離のある所からの目撃でも
足が動かなくなりました


その後は他の商品をペタペタと触り
指でグニグニと押したりしながら
次第に店の外へと出て行きました

ハッと我に返り、他に見ていた人はいないか
周りを見回し・・
どうやら気づいたのは私だけだったようだ

そのまま、私も静かに店の外に追いかけていき
店から離れた近くの公園のベンチの所にいる
その子に「やぁ」と声をかけた

干しブドウが入ったパンを8割方食べていて
少しビクつき気味に振り返り
私だとわかった瞬間
安堵したのも一瞬のうちに見て取れました

追いかけがてら自販機で買った冷たいジュースを
手渡しながら、さりげなく隣に座る

嬉しそうに、美味しそうにパンとジュースを
交互に平らげる横顔を見ながら
愕然とするものが目につき
疑惑が確信へと変わりました

「虐待」の二文字が、頭をよぎる


家に送ろうかと声をかけたが
どこかに遊びに行くからと答え
バイバ~イと手を振りながら行ってしまいました


それから、洋子と一番親しい部下に連絡し
顛末を話すと、彼女も、疑い始めていたようでした。

私と洋子の板挟みになり、苦しみつつも
我が子と同じ年頃の子供たちの環境を
心配せずにいられず
そのため、何度となく
家族ぐるみのイベントを私に提案していたのは
そんな理由からだったと、まで話してくれました

その配慮のおかげで
子どもたちにも警戒されず
親しく話をすることができる

それから、機会を伺いつつ
何度か子どもに接触し
何回目かには一緒に涼しいお店で
お昼を食べるところまでたどり着きました

夏休みは、給食がないので、飢えを満たすために
万引きして、空腹をしのいでいたのだそうです

お兄ちゃんは大きいからおじちゃんに怒られないように
上手にできる。小さい妹はわからないから仕方が無いと
大目に見てもらえる。

でも僕はいつも、おじちゃんを怒らせてしまうんだ

お母さんとおじちゃんは、おいしそうなおかずを
テーブルにいっぱい並べてお酒を飲んで
テレビを見ながら楽しそうにしているけど
僕たちはジャーに入ったご飯だけ

それも、僕は罰だから食べてはいけないんだ


だから・・・だから
いつも、とってもお腹がすいてるの

今日はお肉食べれてすごく嬉しい
おばちゃん、ありがとう。とっても美味しいよ

そう言いながら唐揚げ定食をほおばる姿に
うるんだ目をごまかしながら
私も食べた。
「うんうん、美味しーね」と
話しつつお味噌汁をすすり
湯気で鼻水出ちゃったよぉー
と言いながら、涙と鼻を拭いました

指先が曲がるくらい、小さな雨靴は
それしか履くものがないから。

学校に行く時はお兄ちゃんのお下がりを履くけど
今は、罰で外に出かけられないように靴はしまってあるの

だから妹の雨靴でこっそり出てくるんだ
おじちゃんとお母さんは
クーラーの効いた部屋で昼寝していたから
僕、お腹すいて出てきたの
昨日から罰で何も食べてないもん


その子に、食事をさせて、やっと
それだけの話を、聞きだした


子どもがいなくなったと
炎天下の中、私を含めたチームメイトに
探させといて、自分は男と昼寝とは
許せない気持ちがますます膨れ上がる

お腹いっぱい食べさせてから
事情を知っている部下にその子を託した
その子の兄弟も、一緒に探していたので
3人一緒に保護しました


その足で、洋子と内縁の男のいる住宅へ出向き
子供を見つけたことと、虐待の事実を突きつけ
今日は安全の為、自分が保護することを宣言して、帰ってきた。

もちろん、全員一緒に保護したうえでなので
否やは言わせない

内縁の男は拳を握りしめ
私を、殴らんばかりに腕がぴくぴくしている

洋子は、目が吊り上がり
これまで見たこともないような憤怒の表情だったが
そんなことは、かまっていられなかった。

私の中で、今夜、ここに返すと
子供たちの命はないかもしれないとの恐れが
湧いていた。
今、目の前にいる二人の様相から
公にしなければ子供たちを守れないと
理由なしに確信していたのです

 
その後、学校にも出向き善後策を講じようとしましたが
そこでも驚きました。

担任は薄々、気付いていたが
見て見ぬふりをしていたようです

時代は平成とはいえ
現在ほど、虐待が表面化されていない時期で
法整備も遅れており、対応の術が
具現化される以前でした。

自分の責任になることを恐れ
気付かぬふりをしていたようです。

学校長、担任、民生委員、私と話し合い
最後に念を押されました。

「あなたの部下ですが、もし裁判とか
審問になったら、証言をしますか?」

確かに、一瞬、躊躇しました。
何故なら、公になれば、会社も巻き込むことになる
大手金融機関でしたので、スキャンダルは痛手です。

しかし、命には代えられない、そして
知った以上、見て見ぬ振りができない
事なかれができない自分の固さは
不利なことを招きがち
でも・・・
それでも・・・

「はい、もちろんです」


そう答えて、帰途に就きました。

途中で買い物をし
山ほどの食材を抱えて、家で待つ
我が子と、3兄弟で楽しい晩餐です


我が子は満腹になると
テレビを見たり、ゲームを始めます
一方、3兄弟は食べ物の前から
片時も離れようとしません

お腹がはちきれんばかりに食べたのに、
それでも、何かを握っていないと不安なようでした。
小さな声で、そっと

「誰も取らないよ、また、後で食べればいいからね。」

そう話すと、やっと遊びだしました。


あたりがすっかり暗くなり
そろそろ、お風呂に入ろうかとするころに
子供たちは、もう仲良しになっていました

一緒にはいろうか、さぁ脱衣所へと
男の子たちは大騒ぎです

長男は長男同士で次男は次男同士で
女の子は私と入ることになり
一番は次男同士が入ることになりました
お兄ちゃんたちは
ゲームバトルの決着がつかないから
こちらを見ないで
「先に入れ!」と叫び
楽しそうです

ところが
まさかそこで
また、苦しくなる光景を目にするとは思いませんでした
今でも、思い出すと、不安感と動悸に襲われます。
 
その子の体には、無数のムチの跡が
言葉通り、縦横無尽に刻まれていました。
新しい傷から、古く沈着した痕まであり
愕然とするむごさです。
成育状態も悪く
昔の飢饉の絵図に出てくる
「餓鬼」のような体躯をしています。

おでこが出て頭が異様に大きく見えるのは
首が細く骨ばった肩のせいでしょうか
あばらの浮いた薄い胸板に反し
パンパンに腫れたようなお腹
ふくらはぎと太ももがほとんど同じ太さの足

そんな体の服で隠れる部分にのみ
傷があり陰湿さがうかがわれました。

目をそらすように
問うてはいけない・・と
足元を見たとき両足の向う脛にある
赤黒く内出血した
3本の規則正しい横向きの痣に気づきました

変な痕がある。これどうしたの?
と、聞いてしまいました。

今でこそ、バリアフリーですが
洋子が住んでいたのは、古い市営住宅で
部屋と部屋の間仕切りに、ふすまが使われており
そのふすまを、行き来させるレールが
一段(数センチ)高くなっていました。

罰のときは、一晩中、朝までそのレールの上に
正座をしなければならない。

とのこと
高さ2cm 幅が10cmほどのレールに
向う脛だけで、バランスを取り一晩中、正座とは

怒りだけでなく悲しみが襲ってきます


拷問です・・・。


その夜が更けて皆が寝静まってから
上の子に尋ねてみました

小学高学年なので描写も適切で
尋ねたことを後悔するような内容でした

おじさんを怒らせると「ムチ」の罰を
受けなければならず
素っ裸にされ、打たれるのだそうです

その時の気分で
お母さんのベルト(細い)か
おじさんのズボンのベルト(太い)を決められ
背中・お腹・陰部・おしり・・と
言われるがまま
素肌を差し出さなければならないとのこと

弟は痛さから体を丸めてしまうので
いつまでも執拗に叩かれてしまう・・
特にこの夏は暑いので
おじさんの機嫌が悪くなりがちで
怒りが収まらず
ムチの後
レールの罰、そのうえで何日も
食事を許されない
そんな日々が重なっていた


罰を覚悟で弟は家を出て
外で何かを食べるしかない

きっと泥棒してると思う
でも、僕も怖くて何もできないの

ばれたら、同じ目に合うから
そしたら妹の面倒を見ることができなくなる

給食さえあれば夜ご飯食べなくても
我慢できるんだけど
夏休みだから。どうにもできないんだ


ねぇ・・まだ小学生ですよ
この成長は虐待を受けるが故で
生存本能が精神の成長を促していると
最近になり何かの記事で読みました


その日は、あまりのことに眠れず
これまで、どれほどの時間、この子たちは
耐えてきたのだろうかと苦しく切ない思いをしました。

私の、思いなど子供たちの苦痛に比べたら
僅かなことですが、それでも考えずにはいられませんでした。


翌朝、子供たちを学校に送り
私自身も、仕事をしていた午後に
学校と民生委員が、事実の隠ぺいを図り
私を、頭のおかしい人だから
相手にしないように。
と、子供たちに言い聞かせ
接触できないようにされていました

会社も、洋子を依願退職に導き
私に、これ以上タッチしないように指示が来ました。

もちろん、色々と試みましたが
私以外の人間が、引責におびえ
洋子と子供たちを、実家に追いやることで
決着をつけてしまいました。


最近こそ、惨い虐待が報道されますが
あの頃は、稀有な事象だったのです。


自分の無力さを感じつつ
3兄弟が、無事に成長することを
願うことしかできませんでした

何とも後味の悪い結末です


この出来事は私の中に、一生抜けない棘として残り
くすぶり続けてきました
子どもや動物虐待の報道は怖くて見れません


これまでは、決して忘れてはいないけれど
頭の隅、心の奥底にしまい込んでいたのです
ところが
noteとの出会いが考え方を変えました
閉じ込めていてはいけない
書くことで私にとっても誰かにとっても
救いや支え・励みになることがある
そう、思わせてくれたので
noteの初期に
拙い文章で記事としていました
今回はリメイク版なのです

当時、頂戴した
多くの方のコメントを損なわず
保持したままにするには
どうしたらいいか、よくわからなかったので

コピーせずに
当時の筆力では描けなかった部分を加筆し
敢えて、新作のごとく上げています
その点、ご理解くださいませ



ビジネスに追われなかなか思うようにいきませんが
新しい記事を書くとともに、過去記事を読み返し
再度、揚げることもあるかと思います

これまでお世話になっていつつも、疎遠になっている
数々のシステムを今一度上手に利用していきたいなと
考えたりしています

中途半端なものをちゃんと書き上げたり
ジャンルに応じてマガジン化など整理整頓を
しなければと、思いつつの日々です

昨年までは「何か」を追いかけていました
今年は、「何か」に背中を押されつつ
追い立てられるように走っています

いずれにせよ、今年も折り返しは過ぎました
充実した日々の重ねに感謝しつつ
これからも宜しくお願いしたいと
自分勝手に望みつつ
最後までご覧くださり
感謝申し上げます
ありがとうございました







毎日の重ねから私なりの 「思い」を綴っております 少しでも「あなたの」琴線に 触れるものがあれば幸いです 読んで下さり、ありがとうございます