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念願の神谷バーで電気ブランとビールを交互に流し込み浪漫の香りに包まれた私

2023年3月。1人で羽田空港に降り立った私は約3年振りにめい一杯都会の空気を肺に入れあまり美味しくないことを改めて確認し、乗り方を忘れた電車に揺られてあるところへ向かった。

重たいスーツケースを片手に地下鉄の長い階段をやっと登ると青空が広がっていた。

久しぶりに見上げるスカイツリー

浅草に着いた。

休日ということもあったせいかぶつからないように歩くのが難しいほど通りには人が沢山。ちょっとしたお祭りじゃないかと思いつつこれが東京なのかと久々に実感した。

今回私が浅草に行った理由。それは「神谷バー」に行くこと。神谷バーは創業明治13年の日本最初のバーで電気ブラン発祥のお店。電気ブランはビールをチェーサーにして飲むのが通らしい。まさに私はこの飲み方を、更には本家大元の神谷バーでやるんだという強い意志のもと田舎から一人で出てきたといっても過言ではなかった。

ここで何故こんなにも電気ブランに魅了されてしまっているのか話をしたい。初めて電気ブランを知ったのは小説だった。有名なので皆さんご存じだと思いますが、森見登美彦先生の「夜は短し歩けよ乙女」に偽電気ブランが出てくる。小説の内容もとても面白い事に加え、実際に電気ブランというお酒が存在することを知り飲んでみたいと思った。また、そう思ったのがもう10年近く前だった。10年越しの夢が叶う瞬間ということだ。

青空を背景にハイカラな建物が見えてきた。夢にまでもみた神谷バーだ。お昼時だったのでお客さんが沢山。私の祖母又は母ぐらいの年齢の方が多かった。バーと言っても今でいう暗くておしゃれなお酒を出してくれるとかそういうものではなく、あくまでも大衆的なお店。開けたフロアにはテーブルと椅子が並べられている。ただ、バーということもありウェイターさんは蝶ネクタイをウェイトレスさんは素敵なスカートを履いてビールや電気ブランをせっせと運んでいる。

大正10年に建てられ、今では登録有形文化財になっている。

ついに私は神谷バーに来ることができた。メニューを眺める。電気ブランとビールは決定だ。ビールのサイズはどうしようかと悩んだけどせっかくここまで来たんだし、小じゃなくて中にするぞと意気揚々と決めた。こちらも悩んだ末にカニクリームコロッケを頼んだ。注文後、颯爽とウェイトレスのお姉さんが電気ブランとビールを私の目の前に”でん!”と置く。そこで私は完全にひるんでしまった。生中が700mlだとは知らなかった。こんなに大きなグラス今まで見たことがない。昔サイズの生中を前に私は圧倒されてしまった。

そんな中、大きなビールの向こう側に70代ぐらいの2人の老婦人が見えた。2人は私と同じ700mlの生中を片手に乾杯をしていた。カッコいい。私はそう思った瞬間から海賊になったような気持ちになり大きな大きなジョッキを手にしてビールを流し込んだ。

そこからは緊張も解け神谷バーでの時間を楽しんだ。ビールがキンキンに冷えて美味しい。そして念願の電気ブランを嗜む。アルコール度数が強いがとてもまろやかで香りが良い。くせになる味とほんのり甘いのも電気ブランの特徴だ。交互に電気ブランとビールを流し込み、大正・昭和の文豪たちもこの電気ブランにメロメロだったんだなと深く納得した。

「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し…」

太宰治「人間失格」より

楽しく電気ブランを飲んでいるところ運ばれてきたカニクリームコロッケが更に私の心をときめかせた。ぽてっとだ円の形をした大きなカニクリームコロッケが2つ。このカニクリームコロッケを食べ、電気ブラン、ビールを流し込むと「幸せ」と思わず言葉が出てきた。今まさに大正・昭和時代のハイカラな雰囲気、浪漫の香りが私を包んでいる。

ずっと行ってみたいと思っていた神谷バーでお昼から電気ブランとビール、そして美味しいカニクリームコロッケを頬張りニコニコ顔が隠せない私。あんなにひるんでいた700mlビールを悠々と飲み干し、帰りには満足げに自分へのお土産として電気ブラン用のグラスと電気ブランのレーズンサンドを購入した。

念願の神谷バーで時間を過ごし私は大満足だった。やっぱり実際に行かないと感じられない古くからある下町のバーの雰囲気があった。浅草に行く度に行きたい。そしてまた、当時の文豪たちと同じ空気をおもいっきり吸うんだ。

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