HSPの私が「感情をこめて歌いましょう」という文字にドキッとした話


私は、HSS型HSPの気質から、気分のアップダウンが激しい。
調子の良い時はものすごく元気で、やる気が溢れてくるのだが、調子が悪くなると、もう本当に苦しくて絶望的で誰とも話したくなくなる。


この気質と付き合ってきて24年、
ようやく自分で自分の感情をコントロールできるようになってきた。


最近は、暗い気持ちになったら
大抵家に籠っているときか、体を動かしていないときなので、意識して体を動かすようにしている。
自転車をこぐとか、外を歩くとか、そんな小さい行動で気分は良くなるんだと気付いた。


また、今日も朝から暗い気持ちが襲ってきて、
もう苦しくて誰か本当に助けて、、と心の中で思いながらも、

せっかくの休みがもったいない!カラオケで歌えば少しは元気でるかもしれない、と思いカラオケに行った。

その選択は大正解だったが、一つ、ドキッとしたことがある。


カラオケで気持ちよく熱唱した後、さぁさぁ何点だったろうかと採点画面を見てみると、

音程は完璧です、

あとはもう少し感情を込めて歌いましょう

というニュアンスのことが書かれていた。


ドキリ。


音程を外さないことばかりに気が向いて、
感情を込めて歌うということをすっかりと忘れていた。


感情を込めて歌わないと、
いくら音程が合わせられても点数が低いんだ。

あれ、そういえば。

普段の私は、感情を込めて、心を込めて、何かをしていただろうか。

周りに合わせることや、評価、効率ばかりを気にしていなかっただろうか。

 

正直、結果ばかり気にしていた最近の私には、
この評価がぴったりだと思った。
とても恥ずかしい気分になった。


感情を込めて、心を込めて何かをすること。

それは人間にとって、すごく大事なことなんじゃないかと思った。

HSPの私にとって、
職場ではみんなの意見に合わせて自分の意見は後回し、
家では家族や恋人の希望を優先して、予定を組み替える。
それでみんなが喜ぶのならそれでいい、というのが自然だった。


だがそれを続けた先に
「私」は存在しているのだろうか。

その「私」には私らしい魅力はあるのだろうか。


、、、ない。

これではまずいと思った。


周りの評価を気にして、うまくやれているかばかり気にして、意見をしまいこんだ自分はいつか、
ペラペラの薄っぺらい紙みたいな代用可能な人間になってしまう。

それだけはごめんだ。

これからは、感情を込めて歌うように
自分の想いを込めて、丁寧に、大切に、やっていきたい。

そうすると、味がでて、癖の強い、こだわりを持った生き方が、できるような気がする。

  


そんなことを思った私は今日、
心を込めてご飯を作ってみた。
いつもなら「お腹が膨れたらいっか」という適当な料理を作っていたが、仕事終わりの恋人に
「元気をつけて疲れを取ってほしい」と想いを込めてご飯を作った。 


美味しいよ。と言ってもらえて一緒に食べた夜ご飯は、いつもより大切な時間に感じられた。



自分の想いを大切に。丁寧に、心を込めて。
そんなことを感じたというお話でした。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございました✨



















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