慧遠について


 慧遠は形は滅びても神(精神)は不滅であると主張した。ここでの神は霊魂と言い換えることもできるが、しかし霊魂とはそもそも仏教が否定したものであった。


 そもそも仏教が持ち込んだ概念の中で中国人が最も影響を受けたのが輪廻転生の思想だった。伝統的に中国人は形と共に魂も滅びると考えた(だから彼らは家を重要視するのである。個人を超越するものとして家門を想定するのである)。不滅の神を信じないので、善行も悪行も運命に影響を与えない、運命とは生まれる前にすでに決まってしまったものであるとみなす。だから度を越えた享楽が中国の歴史の中からは時折現れる。


 神が滅びてしまうという思想は彼らを深い諦念においやる。その諦念を打ち破る思想が輪廻転生だったのである。


 しかし仏教はそもそも輪廻転生を否定あるいはそこからの脱却を目指す宗教である。ある意味で、中国人が仏教に求めるものと仏教が中国人に与えるものは当初から食い違っていたと言える。この時期の僧侶はこの矛盾に苦しんでいたようである。


 涅槃の思想が持ち込まれてこの矛盾はやや緩和された。不滅の神と、涅槃、法身や人々が元々持ち合わせている仏性などが同一視されるようになったからである。身は滅びても法身は滅びない、という言い方なら仏教の理念になんとか背かずにすむのである。

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