2012年3月29日「無題」
自分は今まで勉強とかスポーツとかに熱中してもどうもしっくりこないなという思いを抱いてきた。
ボールを蹴っても、方程式を解いてもそれを繰り返して一体どこにいけるのかがわからなかった。だけどみんな目を輝かせて部活や勉強にいそしんでいたから自分もそれを真似てみた。けどやっぱりなんか違うな、という思いは拭いさることはできなかった。
で、ドンキホーテを読んで、キホーテが風車に突っ込むシーンを見てふと気づいた。自分はこれに違和感を覚えていたんだと。自分にはみんなが風車に突っ込んでいっているように見えていた。そんなことをしてなんになる?ずっとそう心のどこかで問いかけ続けていた。
俺はちょっと絶望しかけた。俺はもう十分大人だったから、もうドンキホーテにはなれない。風車に突っ込むなんて真似は俺にはできない。だけどそこで思い出した。ドンキホーテなんて50を超えた老人だったじゃないか。そんな老人でも風車に突っ込んでいいなら、もう世界はなんでもありじゃないか。そう思いなおした。
俺はドンキホーテを時々涙ぐみながら読んだよ。現代における、幻想の正当な扱い方みたいなものを教えてくれたような気がしたから。幻想とか空想とかそういうのを人一倍馬鹿にしてきたから、俺はなおさらそう思うよ。
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