2013年1月2日の日記


 今日は午前中は「ヘルマンとドロテーア」を読んだ。

なんといえばいいのだろうか。中流家庭のある青年が、フランスとの戦争の

せいで故郷を追われた若い女性にほれこみ、父の反対を押し切って

求婚した末に承諾の返事をもらうという実にオーソドックスな

筋書きの物語である。しかしそれぞれの場面の描写は

さすがゲーテといったところで、ありありと目の前に

その物語の風景がありありと映るかのようであった。

特に求婚するはずがきちんと言い出せず、女中として

自分は雇われたものとばかり思っている彼女をつれ、

梨の木の下で満月を見上げながら手を握り合うシーンなどは、

実にすばらしい。


 しかし私が注目したのは薬屋である。結婚して

世帯を作る主人公とは対照的に、

彼は独り身で、しかもそのことを悲しいこととも思わず、

むしろ世帯を作ることを自らの体を縄でしばることなどといい、

妻のいる男を小ばかにしたりしている。

もちろん作品を通してこの薬屋は改心したりしない。

無論結婚する青年のことをけなしたりもしない。

ただただ自分の考え方は変えず、かといって

他人の考え方もことさら否定はせず…

なんていうか…なんていうかという感じの存在なのである。

 
 この薬屋が終わり近くで語る話

が印象的なのである。なかなか戻ってこない

息子を心配し、うろうろする母親にむかって

こういう話をする。

薬屋も子どものころは

おちつきのない、待っているということができない

子どもであった。しかし父親がこんな話をしてくれて、

それ以来嘘のようにじっとしていることができるようになった。

その話とはこのようなものであった。

父親が窓のむこうの作業場を指差す。

今はあの作業場はしまっているが、明日になれば

作業員が出てきて木材を切ったり何かを運んだりしはじめる。

何を作ってるかというと、棺おけなのだ。

そして彼らはその棺桶を、町で一番落ち着きのない

人間のところへ運ぶ。そんなに

落ち着きがない状態では、彼らは明日にでも

棺桶をお前のもとへもってきて、お前を中に詰め込んで

しまうぞ…という話だ。


 どうだろう、なかなか恐ろしくもあり、面白くもある

話ではないだろうか?この話を独身を

尊ぶ薬屋が話すのである。

なんというか、何かを示唆しているようであるし、

ただの寓話のようにも思える。なんとも面白い話であるなと思った。

 このように、ただのロマンスに見えて、

それだけに終わってしまわないよう

ぴりりときくスパイスが放り込まれた作品なのだ、

というのが私の感想である。

 午後からは、イブン・ジュバイルの旅行記を読んだ。

まだ全部は読んでいない。全部読んだらまとめて感想でも

書いてみようかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?