2012年1月30日「件名なし」


 「かたかたかた…かたかたかた…」

 「ふむ、風が強くなってきたようだな。家の外においてある桶やらひしゃくやらが音をたてている。

 この家もわしが一人で建ててからもう十年。色々なところにがたが出るようになった。そろそろ引越しをしなくてはいけないのかのお」


 戸をあけて、外の井戸から汲んできた水をいれた桶をもちながら、男が入ってくる。男はいろりを挟んで老人と向かい合って座った。そして
いろりにかけてあった鍋に、桶から水をそそいだ。


 「外は寒いよ父さん。どうしようもない。ちょっと外にいただけなのに凍えてしまうかと思ったくらいだ。井戸の水も、それはもう人を殺すことだってできるんじゃないかというくらい冷たいよ。去年はこんなことはなかったのにね」


 老人はいろりに火をつけながら、しきりにふむ、とかああとか相槌をうっている。


 「年々寒くなっていく気がするよ。それだけじゃない。土も日に日に元気がなくなっていくし、井戸の水も大分減ってしまったよ。なんていうか、土地の力そのものが弱まってきているんじゃないかな?」


 老人は煮立ってきた鍋の水に、大きく切った野菜を入れていった。長い箸を鍋の中にいれて具材をかきまぜながら、なおも男の話を聞いている。


 「この辺に土地にすんでいるのはもう俺たちぐらいなもんだ。本当にいつからこんなふうになってしまったんだろう?・・・そう母さんが死んだときからだんだんと土地が力を失っていったように思うよ。」

 「そのことなんだけどな」


 老人は鍋の中で煮られている野菜を見つめながらぼそりと口を開いた。


 「この家捨てて、どこか別の土地へ行くか?もう大分この家も古くなってきたからな。じきに、井戸から水をくむことも畑で野菜を作ることも出来なくなってしまうだろう。そうなってしまってはもうどこか別の土地へ引っ越さなくてはならんだろう。行くなら、できるだけ早いほうがいいんじゃないか?」

 男はじっと老人の顔を見つめながら話を聞いていた。なおも老人は鍋を見つめ続けている。

 「しかし」

男が肩にかけていたてぬぐいで顔をぬぐい、そのまま顔を伏せた。

 「母さんが。」


 「だから。」

 老人が、野菜をつついていた箸を鍋からおもむろに引き抜き、肉の盛られた皿にうちつけて大きな音をたてた。

 「母さんが死んだからわしらはこの土地を離れなくてはならんのだ。そもそも枯れたこの土地にわしらがすむことができたのは母さんがいたからだ。母さんは不思議な力があった。母さんが命けずってくれたおかげでわしらこの土地に住むことができたんじゃ。それもこれもわしらのためじゃったんじゃ。その気持ちをお前は無駄にする気か?」


 言い終えると、老人は鍋に肉を入れ始めた。


 「でも俺は残る。やっぱ、この土地に残る。」

 老人は肉や野菜をぐるぐるかきまわしながら

 「そうか」


 とだけいった。

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