2013年7月30日の日記


 今日は何をしたか?午前は家でごろごろして、午後は何やら外に出かけて本屋にいったり、図書館にいったりした。本屋ではまず烏についての本を読んだ。日本の烏は大体がハシブトカラスかハシボソカラスで、都会にはブト、田舎には主にボソがいるということ(すでに知っていた知識)と、他にもミヤマガラスというのもいて、それは主に田舎で集団で行動しているとのこと、他にも冬鳥として冬に北海道に少数やってくるワタリガラス(海外でいうところのraven,神話などにもよく登場する。)などが、日本で見かけることのできる烏であるということ、などといった知識を手に入れた。

 さらに、フランス語とイタリア語とスペイン語を同時に学ぶことができる単語帳というものを見つけた。そんなに語学は甘いものではない…と思いつつ手をとってみたがなかなか面白い。結局図書館で取り寄せることになった。


 帰り、セブンで買ったコーヒーを飲みながら橋を渡ることにした。

 図書館に寄り、フランス語の参考書や辞書などを読んでいるとあっというまに夕方になっていた。しかし集中して勉強したせいか調子は上向きになっていた。家を出る前はかなり気分が塞ぎこんでいたのである。

 家に帰り風呂にはいって飯を食った。納豆と鶏肉とおくらとめかぶのあえものである。納豆おくらめかぶで米をかきこんで、鶏肉をゆっくり食べた。テレビでフィンランドに嫁いだ日本人女性についての特集をやっていた。最近のテレビ番組はこんなのばっかりだ。…でもなかなか面白かった。あちらの主婦はわざわざ空のスーツケースをもってフェリーに乗りエストニアまで買い物へ行くのだそうだ。フィンランドでは物価が高いから。日本では考えられないことだ。興味深かった。


 その後ツルゲーネフの父と子を読んだ。久しぶりに当たりの小説といえるだろう。面白かった。ツルゲーネフはルーヂンも含めて、かなり面白く読むことができた。


 それにしてもルーヂンや、バクーロフなどのニヒリストが小説に登場してくるのを見ると(ルーヂンはニヒリストではないか…)どうしてもバクーニンがツルゲーネフに与えた影響などということを考えてしまう。超越的な価値というものを何一つ認めることができない人物。そういう人物に惹かれる若者。そんな彼らを理解できる老人、理解できない老人、女性…そして父親たち…そういったかなりキャラの立った人物たちが織り成すドラマは、はっきりと私を楽しませてくれたといっていいだろう。特にニコライの兄が決闘を申し込むシーンはなかなかに劇的と言ってもよかったのではなかろうか?都会で恋愛沙汰を好きなだけ楽しみ、出世争いに負けて田舎暮らしをしている男が純朴な弟のために決闘をし、その後弟に身分違いの結婚を勧めた後で自らは別の土地で暮らすことを決意するところなんかは、ハードボイルド的と言ってもいいだろう。


 ツルゲーネフは総じてドストエフスキー的といえる。いや、年代からいえばドストエフスキーがツルゲーネフ的なのだ。つまり、それぞれ考えや価値観をもっている人間たちが、その価値観をほとんど変更することなく物語が進んでいく。人々は行動を変えず、あるものは理想に殉じ、ある者は田舎で伴侶と幸せに暮らす道を選ぶ…そういう人間のドラマを、優しさをこめ淡々と、かつ美しい風景描写をまじえながら書くのだ。こういうスタイルはなかなかできない。難しい。しかしその分成功すればとても面白く、かつ文学的価値の高い作品を世に残すことができる。ツルゲーネフはそれに成功したと言っていいだろう…


 感想はまあ、この辺で。今日はどうもうまく文章を書く事ができないようだから。

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