小説「竜についての書物たち」


〇Aの書


かつて竜がいて世界を荒らしまわっていたが、どこからともなく現れた勇者がこれを退治した。竜を倒した後勇者は誰にもその行き先を告げることもなく姿を消してしまった。


〇Bの書

かつて竜がいて世界を荒らしまわっていたが、どこからともなく現れた勇者がこれを退治した。勇者はその後王の娘を妻に娶り、やがて王となった。


〇Cの書

かつてある勇者がいて、竜を退治した褒美として王の娘を妻とした。やがて王は死に、息子がその跡を継いだ。しかしこの新しい王は暗愚で、ひどい政治で民衆を苦しめた。人々はかつての勇者に期待を寄せるようになった。悩んだ末に勇者は再び剣をとって立ち上がり、軍を率いて新しい王が住まう城に攻め寄せ、これを打ち滅ぼした。

〇Dの書

かつて悪しき王がいて民衆を苦しめていた。人々の怨念がやがてはっきりとした形をまとって竜となった。竜は首都に攻め寄せて王を殺したが、それでも竜は消えずに殺戮を繰り返した。世界は滅ぶかと思われたがどこからともなく現れた勇者がこれを見事に退治し、平和が訪れた。


〇Eの書

かつて悪しき王がいて民衆を苦しめていた。人々の怨念がやがてはっきりとした形をまとって竜となった。竜は首都に攻め寄せて王を殺したが、それでも竜は消えずに殺戮を繰り返した。世界は滅ぶかと思われたがどこからともなく現れた勇者がこれを見事に退治した。この勇者こそが我らが王の祖先である。

〇Fの書

(前略)…私が筆を取ったのは結局真実が闇に葬られてしまうことを防ぎたかったからである。時はあまりにも残酷で、火を見るよりも明らかなはずの事実でさえも全くなかったことにしてしまうのである。今でさえこれなのだから、さらに時がたてば最早真実を知ることは全くできないことになってしまうであろう。そうなってしまう前に私は筆を取り、後世のためにこの真実をしっかりと紙にかきとめておくことにしたのである。おお、未来の叡智ある人々よ、決して世に広まっている偽物の歴史を信じないように。巷にあふれかえっている恐ろしき嘘の書物を信じないように。(中略)…こともあろうに悪しき王を打ち滅ぼすために立ち上がったこの勇者は、竜の使いという汚名を着せられてしまったのである。おお、なんたる悪の所業。そして、恥ずべきことにこの勇敢なる者に汚名を着せたものこそが我々(以下、ページが切り取られていて読むことができない)

〇Gの書


(前略)…聞こえないのでしょうか。地の震える音が?嗅ぎ取れないのでしょうか。爆ぜた血肉の匂いが?見えないのでしょうか?罪なき人々が次々と牢獄に入れられていく様が?それら全てをあなたの肉体ははっきりと感じているのにも関わらず、どうしてあなたの魂は今の世が壊れていることなど知らないというのでしょうか?(中略)立ち上がってください。声をあげてください。歩き出してください。祈ることしかできないと言うのであればそれもいいでしょう。それがあなたの心の奥底から出てきた本当の声ならば。(中略)悪しき声に耳を傾けないでください。私たちはあなたの味方です。虐げられているもの、見捨てられたものたちの味方です。(後略)

〇Hの書


(前略)街のありとあらゆる場所に死体が転がっていた。それらの死体に屈みこみ、何かをしている2人組みがいた。何をしているのかと不思議に思い、彼らに気づかれないように背後からこっそりと近づいてみた。ああ、驚かないでほしい、彼らは死体から服や装飾品をはぎとっていたのである。それだけでない。死体を丸裸にするだけではまだ足りないとでもいうかのようにその2人組みは鋏を取り出し、死体の髪を切りはじめたのである。私はもう叫び声をあげながら剣を取り出し、その畜生共を一刀両断にした。これが今の街の姿なのである。こんな街がある一方、郊外の○○(この語句についてはまだ研究途中であるが、おそらく荘園を意味するものであろう)では貴族たちがかつてないほどの豪奢を極めた生活を送っているのである。その○○といえど、最下層の人々は奴隷のような生活を強いられている。目のふさがっていない人々よ、これが真実なのである…(後略)


〇Iの書

(前略)○○(Hの書のこと)は今では偽書であることがわかっている。しかしこの書物が革命戦争に与えた影響というのは計り知れない。特徴的なのはその臨場感である。主人公XXが見たこと感じたことを次から次へと羅列していくというその手法は現在の心理小説にも通じるものがある(中略)しかし当時聖典とみなされていた書物がほとんど偽書であったという事実は何を意味しているのであろうか?(中略)とにもかくにも、竜の化石が発見され、その実在が科学的に証明された現在となっては、今まで積み上げてきた知識を一旦捨てて、真っ白な目で歴史というものを見つめなおすことが求められているのである。


〇Jの書

(前略)そこには何もなかった。僕はここには何もないということをはっきりと理解した。過去もない。未来もない。しかし現在に留まり続けることも忌々しい。そして僕は竜の洞窟を、一生の全てをかけてようやくたどり着いた竜の洞窟を後にした。(後略)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?