2017年11月9日の日記

今日は9時前に起きる。朝食は粥。便の調子はよく、粘液もなく、紙に血がつかなかった。量もたくさんあった。午後、昼食後にもやはりたくさんの便が出た。

 午前中はいつもどおり、チョコを食べながらコーヒーを飲んだり、パソコンをしたりして過す。お遊び程度にドイツ語のことについて調べたりした。世界の歴史8巻も熱心に読んだが、これはかなり面白かった。

 昼食は鯖味噌缶に温泉卵にご飯。たくさんのご飯を食べた。先ほども述べたように、食後便が出る。その後ベッドで色々とやる。その後15時ごろから外出する。


 天気は非常に良かったが、風はとても冷たかった。用水沿いを歩いて丘の頂上付近へ行き、そして階段を下りて川が丘の中へもぐりこむ辺りへ出る。


 この辺りの、川の柵の近くに自転車が転がっていて、そばに男が立っていて携帯電話で何か話をしていた。「ブレーキがきかなかったみたいで…。坂になっているんですよ…」などという声が聞こえた。自転車の辺りをよく見てみると子供がうずくまって「痛いよ…痛ーい…」と泣きながら声をあげていた。どうも子供が坂の上から自転車でスピードをつけておりてきたところ、ブレーキがきかなくなって柵か何かにぶつかって怪我をし、そしてそれを目撃した男が警察か救急車に連絡をしているところのようであった。私も何かしようかとほんの少し近づいたが、何をすればいいのかわからなかったのでそのままその場を後にしてしまった。しかしその後30分ぐらい「やはり何か出来たのではないか?」という思いを抱き続けた。外套をかけて、傷をさすって声をかけて勇気付けてあげることぐらいは出来たかもしれない…。

 その後さらに歩き、駅のところの踏み切りを渡り、そのすぐ右手にある歩行者専用の道を歩いていった。何か巨大なホールとスーパーの間の細い道を抜けるとホールの前に広がる駐車場に出た。坂道の車道を登っていく。左手にはずっと木々に覆われた崖が見えていたが、やがてそれが開けて公園が現れた。公園の背には斜面があって、そこにちょっとした階段のような道があって上にのぼっていけるようになっていた。私は先に何があるのかということもわからずにその階段(階段といっても、木の棒を並べただけのものであった)をのぼっていった。坂を登りきると墓地に出た。「そうかもしれない」とは薄々思っていたが、いざ目の前に墓石が並んでいる光景が現れると少し気遅れがした。ともかくも私は墓地の中を歩いていった…


 まだ時刻は16時すぎであったが、日はほとんど暮れかけていたのでとても寒かった。風が強く、卒塔婆が揺れてひっきりなしにがたがたと音をたてていた。そしてけたたましいほどに烏が鳴いていた。墓地は起伏が多く、ちょっと標高の高いところに立つと眼下一面に墓石が広がる光景を見ることが出来た。ほとんど人気はなく、ただ遠くの東屋にあるベンチに人間が1人腰掛けているだけだった。

 これからちょっとだけ恐ろしい時間が訪れた。適当に道を歩いていたのであるが、しばらく案内板が見つからず、自分がどこを歩いているのかということがわからなくなってしまったのである。陽は暮れていよいよ暗く寒くなりはじめていた。卒塔婆の音も烏の鳴き声もますます激しくなっているように思えてきた。私はものすごく心細い気持ちになってきた。しばらく行くと見知った道に出ることが出来たのでなんとか平静を取り戻すことが出来たが…。やはり夕方に行くところではないのかもしれない。


 途中、子供たちが遊んでいるのを見たが、それでなんとなく心が洗われた気がした。それ以降頻繁に人とすれ違うようになり、心細さはなくなった。さらに歩くと墓地の出口に出た。


 夕食は豚汁に里芋と厚揚げの煮物に納豆であった。たくさん食べると体も暖まったような気がした。

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