2015年11月30日の日記


 今日は病院に行く日であった。診察はすぐに終わったがやたら混んでいたので採血と会計にかなり時間がかかってしまった。結果として病院を出た時にはすでに11時半過ぎになってしまっていた。

 昼食は前回見つけたあのやたら並んでいるうどん屋でとることにした。ざっと見たところ30人は並んでいたがれ列は割りとスムーズに進んでいって、15分ぐらいで店の中に入ることができた。しかも席につくと間もなくうどんが出てきたので、あまり「待たされた」という感じは抱かなかった。どうも大量の客を効率よく捌く方法が完全に確立されているようだった。まず並んでいる時にある程度まで店に近づくとメニューが渡される。それからさらにもうちょっと近づくと注文を尋ねられる。私は今日は釜玉うどんに山芋をトッピングしたものとちくわ天を頼んだ。それからもうちょっとすると中に入ることができるのだが、すぐにテーブルに案内される。テーブルの上にはすでに水が置かれていて、間もなくうどんと伝票が運ばれてくる。店はそれほど広くなく、食事スペースは1坪くらいという感じであった。ひっきりなしに4-3-1などとサッカーのフォーメーションのような暗号を店員たちが口にしていたが、それはつまり「次、4名様、3名様、1名様の順番で入店します」という意味なのだろう。誰かが食べ終えると次に入ってくる客の注文の品が作られ始める。うどんなのだから調理時間はほとんどかからない。テーブルの上を片付けて水を置いて案内している内にうどんは完成しているというわけだ。客の配置もパズルのように工夫して、少しでもスペースの無駄が生じないようにしているようだった。客はうどんを食べ終えると伝票をレジに持っていって会計をする。これで効率よく客をまわしているというわけだった。

 うどんは確かに美味かった。歯ごたえはあるが硬すぎるということもない。つるつると喉を通って胃の中に滑り込んでいく、そのような感じであった。あれだけの行列に並ぶほどか?と問われると少し考え込んでしまうところはあるが、しかし釜玉に山掛けをトッピングして540円なのである。あの味でこの安さなのだから食べる価値はあるというべきである。その上行列は見た目よりもずっとはやく進んでいくのである。また行ってもいいと思えるような店であることは間違いない。釜玉じゃない、出汁に入っているうどんも美味そうであった。ちくわ天ははっきりいって余計であった。


 その後古本屋めぐりをする。デルスー・ウザーラが1000円で売っていたり法顕伝が300円で売っていたりした。しかし結局どちらも買わずに、サリンジャーのナインストーリーズとフラニーとズーイーを買った(どちらも英語)。両方とも200円でしめて400円である。他には何も買わなかった。円仁入唐記が3000円で売っていたがこれには手が出ない。

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 今日、昔のジャンプを何冊か読んだ。1975年と1985年と1995年の6月に発行されたやつ3冊を読んで、絵柄や話がどのように変化していったのかということをちょっと観察したのである。

・75年

 ジャンプが発刊されたのは68年なので、この頃はまだ「新しい」雑誌という扱いだったはずである。75年の6月1週目、巻頭はよくわからない何かの作品であったが、2個目はど根性がえるであった。それから漫画ドリフターズが連載されていた。他に名前だけでも知っているのはサーキットの狼とアストロ球団ぐらいのものであった。

 最後から2個目ぐらいに掲載されていた車田正美の「スケ番あらし」は読んでいて面白いと思えた。女の子はスケバンなのだが家は貧乏で男たちには短足だのブスだの散々に言われる。そのくせやたらとサービスカットが多く、胸の谷間だのパンツだのを頻繁に読者に見せてくるのである。変な言い方だが「セクシーなじゃりん子チエ」のように私には思えた。しかしとにかく…やたらくそみそに言われるが本人はあっけらかんとしているやたら強いやたらエロい女の子、というのは私には新鮮であった。続きを延々と読んでいきたいぐらいである。

・85年


 85年。表紙はシェイプアップ乱で、巻頭は男塾であった。ドラゴンボールはまだ25話とかそこらで、クリリンが初登場をしていた。北斗の拳ではシュウが自らの目をつぶしてケンシロウを救っていた(正確にはその回想が行われる)。他にキン肉マンもキャプテン翼もこち亀もすでに連載されていた。最後の方には桂正和の漫画も掲載されていた。見る人が見れば「黄金時代だ」とうっとりしながらため息を吐くようなラインナップだった。


 しかし75年のジャンプの直後に読むとやはり共通するものを多く見つけることが出来る。おそらく当時としてはハイカラに見えたであろうドラゴンボールも全然70年年代の流れを継承しているものであった。間の取り方などにその残滓が残っていることがよくわかる。


 男塾はシリアスなギャグにしか思えなかった。70年代におけるシリアスな漫画を描くために使われていた劇画という手法で「あたかもシリアスのようなギャグ」を描くというのが当初のコンセプトではなかったのだろうか。少なくとも私にはそうとしか思えなかった。

 ドラゴンボールなどはど根性がえるのような可愛い系の絵をさらに発展させることによって出来上がったのではないかと思われる。北斗の拳はどうだったのだろう。当時あれが本物のシリアスとしてとらえられていたのかシリアスなギャグとしてとらえられていたのか、そういうことはリアルタイムであれを読んだものしか語ることができないのだろう。

 シティーハンターもあった。


・95年

 95年。この頃のジャンプはすでに買っていたはずである。表紙はボーイで、巻頭はドラゴンボールの最終回であった。スラムダンク、キャプテン翼、こち亀、ぬーべー、ジョジョ(4部)、忍空、あやつり左近、密リターンズ、ラッキーマン、ろくブル(川島編)など、懐かしい漫画が山というほど掲載されていた。しかし読んだとはっきりと断言できるほど記憶が残っているのはドラゴンボールとぬーべーぐらいのものであった。そういえば当時はスラムダンク、ジョジョ、ろくブルなんかは読んでいなかったのである。いやいや全くである。こち亀は密造酒を作る回であったがこれはおぼろげながら記憶があった。しかしコミックスで読んだのかもしれない。確実なことは何もいえない。それぐらい脆い記憶なのである。


 全体的に極端な劇画調もど根性がえるのようなかわいい系も死滅してしまっている。背景も人物造型もリアル志向になっている。しかし顔のパーツだけは漫画調なのである。やはり日本漫画の歴史が詰め込まれているのは「そこ」なのであろう。


 大ゴマは85年の時でも使われていたが、95年になるとさらに多用されるようになる。コマをぶちぬいて人物を描くなんてことも普通に行われている。75年85年では考え付きもしなかったような角度から人物を描くということも行われている。技法的な面では85年の時よりもずっと進化したと言うことはできるだろう。あえて意地悪く「アメコミみたいになった」と言うこともできるかもしれない。


「回想シーン」を漫画そのもので描いたり、「ナレーション」を多用したりすることも95年では多くなっている。その点では昔の方がよっぽど「リアリズム」だったというわけだ。

 …とまあ昔のジャンプを読みながらそんなことを考えていたのである。昔の子どもたちは、あるいは自分が子どもだった頃にはどのような気持ちでこれを読んでいたのだろうか?などということを考えながら読んだのである。それが何の糧になるのかということは今はわからない。わからないがとりあえずやりたいからやってみたただそれだけである。行為の理由なんてそんなもので十分だ。

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