コールオブデューティーか女子中学生か

 作家という人間について多くの人々が勘違いしている。作家というのは無から無限の物語を紡ぐものだと思われがちだが、糸なくしては布が織れないのと同じく、全くの零から物語を生み出すことはできない。その糸は作家によって映画だったり絵本だったり音楽だったりするだろう。つまり、物語とは現実という布をほどいて再び編みなおす、現実の再構成に他ならない。


 私にとっては文字通りの意味で「少年の日の思い出」の中に強い影響を与えたエピソードがある。僕に影響を与えた人々への敬意として、個人名は伏せるがいずれも実際に私の周囲で起こった実際の出来事である。

思い出のはじまり

前回の思い出

 かねこさんとの思い出は少ない。ただ長い時間を一緒に過ごしただけだ。3年間連続で図書委員だった僕と同じく、彼女も3年連続図書委員に立候補していた。残念ながら立候補多数で毎年図書委員になれたわけではなかったが、彼女とはたくさん仕事をした。昼休みと放課後の図書室での貸出業務、蔵書目録作成、清掃、整理......


 彼女も本が好きだったと思うのだが、何が好きだったか思い出せない。ジャンルさえわからない。僕の性格からして、「自衛官探偵」シリーズを薦めてはいたとおもわれるが、果たして彼女が気に入ったのか覚えていない。そもそも読んでくれたかも不明だ。


 ひょっとすると彼女は本ではなくて図書室が好きだったのかもしれない。そういう図書委員は珍しくない。本は年に数冊読む程度で、読書家という感じではないが、蔵書整理や貸出業務が好きだとか、図書室の静けさに窓ガラス越しに校庭から笑い声が聞こえてくるのが好きだとか。思い返せば、当番ではない日もほとんど毎日図書室へ行くような人は少ない。
 なぜこんなに記憶に乏しい彼女のことを思い出すのかと言えば、それは私が「付き合うならこんな人と」、となんとなく感じていたからだろう。そう感じた理由は忘れてしまった。一緒に過ごす時間が長くて気心がしれていたからかもしれない。彼女は不細工ではないが、「青いブラ紐」のいしばしさんと比べるとずっと地味で、その「女の子」を感じさせない雰囲気が良かったのかもしれない。


 卒業式の夜、クラスの全員でレンタルスタジオを貸し切ってお別れパーティをした。私は正直気乗りしなかったが、「全員を集めたい」と意気込んでいた幹事に根負けして参加した。何をするのかと思えばカラオケだった。三十人、マイク二本でカラオケ......。パイプ椅子を丸く並べて、マイクとデンモクを隣へ回していくのだが、「みんなで歌える曲」を予約するのが暗黙のルールになっていて、jpopを聞かない私と友達数人は早々に飽きてしまった。うち一人の家に集まってゲームをしようぜ、と盛り上がってしまい、途中で抜けることにした。今にして思えば、幹事も幹事だが、我々も大概である。幹事の一人の女の子が靴をはく僕らを呼び止めた。


「帰るの?」
「こういうにぎやかなところ、苦手でさ。体調崩して迷惑かけたら悪いし」
「でも最後なんだよ」


 最後か。僕は空を見つめてその言葉を反芻した。最後と聞いて、僕はかねこゆうさんの顔が思い浮かんだのである。もし彼女と付き合いたいならこれが最後のチャンスなのかもしれない。そして私達はそのまま帰った。中学校三年間の記憶の中で、一番心惹かれた女性がかねこさんだったが、僕は彼女になんのアプローチもしなかった。「どうせフラれるし」「美人じゃないし」といった後ろ向きな理由ではなく、単純素直に「ま、いっか」と思ったのだ。この「ま、いっか」が、かねこさんにまつわる記憶の中で最も鮮明な感情だ。友達と中学生最後の夜に遊んだコールオブデューティはめちゃくちゃ楽しかった。幹事の女の子は靴をはいて僕らを呼び止めようと建物の外まで追ってくれたが、当時僕らにコールオブデューティモダン・ウォーフェアより面白いものなど無かったのだ。

 二週間後、男子高校に入学した僕はこの晩のことを少し悔いるのだった。かねこさんにお別れとねぎらいの言葉をかけるくらいしても良かったはずだ。私のせいで彼女を傷つけたことはないはずだが、当時の私の彼女への失礼な感情は今の私に自責を迫る。さらに、それとは別の事件がレンタルスタジオでは起こっていたらしかった。僕が友達をマラライサプファマスで倒しまくってたその時、僕らは知らないうちに別の女の子を泣かせてしまっていたらしかった。

 次の思い出は僕のものではない。友達からの伝聞だから、嘘や誤解があるだろう。

 「そねあけみさん(仮名)について」に続く

思い出の続き





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