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「クリスタルスカルの王国」はクソ映画なんかじゃない

 作家という人間について多くの人々が勘違いしている。作家というのは無から無限の物語を紡ぐものだと思われがちだが、糸なくしては布が織れないのと同じく、全くの零から物語を生み出すことはできない。その糸は作家によって映画だったり絵本だったり音楽だったりするだろう。つまり、物語とは現実という布をほどいて再び編みなおす、現実の再構成に他ならない。


 私にとっては文字通りの意味で「少年の日の思い出」の中に強い影響を与えたエピソードがある。僕に影響を与えた人々への敬意として、個人名は伏せるがいずれも実際に私の周囲で起こった実際の出来事である。

思い出の始まり


 僕の思い出に意外な反響があった。

 ありがたいことに、現在の僕には友達がいて僕を尊敬してくれている。本当に幸せなことだ。その一人が「もっとお前を好きになれる思い出をくれよ」と連絡をくれた。たしかに、ここまで私は自分の後ろくらい感情を含んだ思い出しか切り売りしなかった。今回は前向きな思い出を売ろうと思う。

にいやまさとしさん(仮名)について

 僕は中学生の頃すでに映画が好きだった。毎月1000円の小遣いで年四回友達と映画を見に行っていた。僕は中学生としては映画を見る量が多かったと思う。両親の影響だ。定期考査のあとの平日休みに電車に乗って映画館に行く。中一からそんなことをしていて、少しずつメンツが増えていった。ボウリングやカラオケと違って、何か文化的で大人っぽいということだった。映画を映画館に見に行くという行為がかっこいいという空気が出来上がってきたのだ。カラオケ行こうぜ、という誘いを「映画見に行くんだ」と断ることがかっこいい。
 すばらしい。僕はうれしかった。僕は歌が下手だし、(音階の意味を知ったのは高校生になってからだった。この件についてはまたいつか)運動もできなかった。それでも、映画と小説については学年で一番詳しかったし、たくさんの友達が僕に映画の話をもちかけてきた。自分が自分のすきなことで周りから尊敬されるということは本当に名誉で喜ばしいことなのだ。

 増えに増えてメンツは15人となった。にいやまさとしさんはその一人だった。『インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国』を見に行こう、と僕は提案した。僕はジョーンズ先生が大好きだった。スター・ウォーズも大好きで、両シリーズに出演する俳優ハリソン・フォードも大好きだ。1980年代に三作が公開され、それ以来新作がなかった名作。僕が小学一年生の頃に見た、自分が生まれる前の「名作」の新作を中学生になって見られるとは全く予想していなかった。僕は興奮していた。


 ご覧になった方はこの作品の評価について議論があるのはご存じだろう。私は気に入った。一緒に見た友達たちもおおむね気に入った様子だった。

 しかしうち一人はこの映画に文句をつけて馬鹿にし始めたのだ。にいやまさんだ。僕がジョーンズ先生やスピルバーグ監督のファンであることを勘定に入れなくても、彼の物言いには納得できなかった。確かに、この作品は往年のファンの間でもネガティブな意見が少なくないし、主演ハリソン・フォード自身も後にこの作品を「恥じている」との旨発言している。しかし彼はネットでネタバレ記事、それも悪くあげつらう記事を読んでそのままに馬鹿にしたのである。具体的にどんな内容だったかについては割愛する。見鑑賞諸氏におかれましてはぜひ先入観無しに作品を楽しんでいただきたい。彼は映画を見る前からこの作品を馬鹿にするつもりで見ていた。大作を悪く言うことで、大衆とは違う自分を演出したかったのかもしれない。僕は彼を許せなかった。今でも同じことを言われたら怒るだろう。今なら上手に作品を論ずるとはどういうことか彼を諭すことができるが、当時の僕にはそれができなかった。言葉を知らなければ説明も下手。彼とは翌日学校でも口論になった。みんなは映画館に行くという行為に価値を見出していたので、そこそこに面白ければ十分だったのだ。もめているのは僕と彼の二人だけだ。 

 映画もとい「作品」を評するとは、悪く言うことではない。重箱の隅をつつくことでもない。自分のカッコつけのために作品を貶めた彼の発言を僕はいまだに許せていない。せめて自分自身の言葉で貶めてほしかった。インターネット掲示板やまとめサイトの言葉ではなく。彼とは今は交友が途絶えてしまった。この一件が原因ではなく、進学、就職を経て自然に離れてしまったのだ。にいやまさんとはせめて喧嘩別れであればよかったのだが、この一件は曖昧のままに解決されていない。

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