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クリエーターの覚悟とメメント・モリ。考えさせる映画『ラヂオの時間』『A GHOST STORY』#30DayFilmChallenge

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毎日連載13日目!今日もネタバレ無しで映画おしゃべりをお送りします。

これまでのおしゃべり

登場人物

ことイナリ(文中”🦔”) https://twitter.com/flandore
絵が描けるオタク。ゲームを作った。アニメを作っている。映画が好き。映画絡みの仕事が欲しい。この記事のヘッダーを描いている。
いってつ(文中”👓”) https://twitter.com/ittetu_
脚本が書けるオタク。ゲームを作った。アニメを作っている。映画が好き。映画絡みの仕事が欲しい。

DAY13「深く考えさせる映画」

👓「一覧表を借りておいてなんだけど、このテーマは正直不服だな」「この世に”考えさせる映画”なんてない」
👓「映画について考える人と考えない人がいるだけでしょ」
👓「終わり!」

🦔「終わるの?」

👓「そうはいかないので......」
👓「それはそれとして、僕は自分の哲学に影響を与えた映画を選んだ」

🦔「俺は”メメント・モリ”的映画を選んだ」

ラヂオの時間
(1997年,日本)
 深夜のラジオ局で生放送ドラマのリハーサルが行われた。ドラマの主人公は有名だが旬の過ぎてしまった女優「千本のっこ」。生放送の直前になって役の名前が気に入らないと文句をつける。脚本家は素人で、脚本コンクール唯一の応募だったために決まった経緯もあって発言力がなく、少しずつ脚本の内容が変わっていく。あれよあれよのうちに舞台は熱海からニューヨーク、主人公の職業はパチンコ店員から敏腕弁護士となってしまう。放送時間まで猶予がなかったため、脚本家の了承無く大きな変更が加えられて生放送はスタートする。しかし設定を変えてしまったことで徐々に物語は破綻していき、軌道修正のための加筆がまた新たなトラブルを生み出していく。はたして彼らは無事放送を追えることができるだろうか。
 三谷幸喜監督の長編映画第一作目。三谷幸喜作品らしいドタバタ群像劇コメディとなっている。

👓「途中まではトラブル解決トラブル解決の連続でドタバタ感がすごく楽しいんだ。新しいシーンを追加したら効果音が必要になっちゃった、とか、俳優のアドリブのせいでスポンサーから強いクレームを受けたり」
👓「最後にはお話の結末が180度違うものになってしまう。堪忍袋の緒が切れた脚本原作者は怒ってブースに立てこもってしまって、”もし脚本を戻してくれないならエンドクレジットで自分の名前を出すな”と言うんだ」
👓「これに返すプロデューサーの言葉がいいんだ」

”私だって名前を外してほしいと思うことはある。しかしそうしないのは、私には責任があるからだ。どんなにひどい番組でも作ったのは私だ。そこから逃げることはできない。納得いくもんなんてそう作れるもんじゃない。妥協して、妥協して、自分を殺して作品を作り上げるんです。でも、いいですか。我々は信じている。いつかはそれでも満足できるものができるはずだ。その作品にかかわったすべての人と、それを聴いたすべての人が満足できるものが。ただ、今回はそうじゃなかった。それだけのことです。悪いが、名前は読み上げますよ。なぜならこれはあんたの作品だからだ、まぎれもない。”

🦔「これは本当にそう」

👓「本当にそう」

🦔「自分のアイデアが人によって不本意な形で手をいれられて、それをお前の作品だって言われたら、そりゃあいい気分じゃないよ」

👓「でもそれがチームで作るってことだよ」

🦔「『3rdeye』を作った時だって、満足のいく出来だった、まったく不満はなかったとは言えないしね。締め切りの制約でやむを得ずあきらめた部分はあったし、全員のアイデアや思いが百パーセント達成されたわけではないと思う」

🦔が原画、👓が脚本を務めたゲーム(買ってね!)

👓「締め切りがある以上、必ず何かを妥協しないといけないよね」
👓「僕はこれを大学生の時に見て悲しくなったし、エールのようにも感じたよ。創作やショーでお金をとるビジネスはまた独特の厳しさがある」
👓「でも出ない金より出るウンコだよ。締め切りが来たらひねり出さなきゃいけないんだ」

🦔「たとえが嫌」

A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー
(原題:A Ghost Story,2017,アメリカ)
 全編を通して物語は幽霊の視点から描写される。一見して安直なタイトルのように思えるが、まさに幽霊自身の物語である。また、タイトルからホラー映画と誤解されるが、恐怖シーンはほとんどなく、「ファンタジー」「切ないドラマ」といったジャンル付けを去れることが多い。
 仲睦まじい夫婦は平穏に過ごしていたが、ある日音楽家であった”夫”が交通事故で死亡する。あの世と思しき光の入り口が現れるが夫はそこに入らず、シーツをかぶった姿で幽霊としてこの世にとどまり帰宅する。夫は”妻”に触れることができず、喋ることもない。”妻”は夫の存在を直接感じ取ることができず、一人で生活する妻を見守ることしかできない。ある日夫は隣家の窓際に同様の幽霊を見つけて交信する。「人が帰るのを待っている」「でも誰かは思い出せない」と隣家の幽霊は話す。妻が男性に家まで送り届けれもらうのを目撃して夫は激高。本を吹き飛ばして自分の存在と想いを伝える。妻はその想いを受け取ったように見えるが、やがて引っ越していってしまう。それでも夫は家に留まることしかできない。やがてそこに新たな家族が越してきて新たな生活を始める。

🦔「アメリカン火の鳥って感じで、”死んだあと幽霊になって残りたい?”って考えさせられてしまう。ぶっちゃけ楽しい映画ではない」

👓「予告編とかなり印象が違うよね。もっと穏やかで静かな作品だ」
👓「合わない人は序盤のゆったりとした進行に飽きてしまって寝ちゃうかも。信じて見ていれば急に面白くなるから序盤は耐えてくれ」

🦔「よく心霊スポットとか怖い話で”その地で亡くなった怨念が悪さをしている”っていうけれど、この映画みたいにさみしくたたずむ姿を想像すると本当にさみしい気持ちになる」

👓「仮に自分が死んで、光の国に行くか留まるか選べたらどうする?」
👓「年齢によると思うけど――90越えのヨボヨボで”も~わしゃイクラ喉に詰まらせて死にたいワイ! ガハハ!”みたいなかんじだったら光の国へ一直線だろうけど......」

🦔「今死んだら......留まっちゃうだろうな」

👓「家族の死と幽霊ってテーマの作品だと、遺された人々の視点で描かれることがほとんどだと思うけれど、この映画は真逆。その点が面白いね」

🦔「幽霊の表現の方法もいいよね。シーツをかぶって目だけを描いたひどく雑な幽霊描写だけど、物言わぬ霊魂の表現としてはすごくあってる。幽霊になった後はまったく喋れなくなってしまうけれど、シーツのシワが感情を感じさせるよ」



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