同級生のブラ紐と友情の終わり

 作家という人間について多くの人々が勘違いしている。作家というのは無から無限の物語を紡ぐものだと思われがちだが、糸なくしては布が織れないのと同じく、全くの零から物語を生み出すことはできない。その糸は作家によって映画だったり絵本だったり音楽だったりするだろう。つまり、物語とは現実という布をほどいて再び編みなおす、現実の再構成に他ならない。


 私にとっては文字通りの意味で「少年の日の思い出」の中に強い影響を与えたエピソードがある。僕に影響を与えた人々への敬意として、個人名は伏せるがいずれも実際に私の周囲で起こった実際の出来事である。

いしばしかなたさん(仮名)について

 中学生になった途端、僕らは男子中学生と女子中学生に別れた。制服に着替えたせいだと思う。一緒に遊んでいた友達が急にスカートを履いて学校に来るようになって本当に驚いた。僕は女子と放課後に遊ぶことはほとんどなくなった。数少ない女子との交流は図書室でにあった。僕は図書委員で、いしばしさんは図書室の常連だった。バスケットボール部のレギュラーである彼女が読書家であるというのは僕には意外であった。かなたさん曰く「バスケなら放課後嫌になるくるいできるから、休み時間は本を読みたい」そうだ。変わった子だと思った。彼女も僕も「自衛官探偵シリーズ」のファンだったことで僕らは友達になった。お互いに何冊も本を貸し借りして感想を語らった。「いしばしが読みたそうだから、前もって買って、読んで、貸してやろう」と思って何冊も本を買い、彼女も同じように考えて何冊も本を貸してくれた。

 いしばしかなたさんは、揺れるショートボブが可愛い、快活な女の子だった。

 どんな本を貸し借りして、どんな話をしたのか、僕は明確に覚えている。その鮮明な記憶の中に、彼女への恋心は無い。当時は恋愛に興味が浅かった、というのも事実だが、彼女のことを読書仲間として強く意識していたことが大きかっただろう。彼女が僕以外の人から本を借りているのを見てささやかに嫉妬心を抱いたことはあるが、それは学校一の読書家を自負する自分の立場が危うくなる焦りから生じたものだ。彼女にとって僕がどうだったか、僕は知らない。僕の友達は彼女のことが好きだったらしい。

 周囲には彼氏彼女の関係になる同級生もいた。もし仮に僕が彼女に交際を迫ったら、彼女は応えてくれただろうか。デートで市立図書館や都心の大きな本屋へ行くようなことがあっただろうか。キスをして、裸を見るようなことがあっただろうか。当時はそんなことを全く考えもしなかった。そんな僕だから、夏休みの直前、七月の事件で完全にやられてしまった。

 登校した僕は彼女を待ちながら自衛官探偵の第一巻を読んでいた。鞄には自衛官探偵の著者の新シリーズ、警察官教授が入っていた。発売日に買って、その晩のうちに読み切った。それをこの日、真っ先に彼女に貸してあげようと思って僕はわくわくしていた。喜ぶ彼女と、読み終わった後彼女との侃々諤々の論争が楽しみで、僕はわくわくしていた。教室に誰かが入ってくるたび、僕は目線をあげてその顔を見た。彼女は部活の朝練がある。教室にやってくるのは出欠をとる直前になる。
「おいっ」
 後ろから肩を突き飛ばすように叩かれて驚いたのを覚えている。
「新刊買った?」
 いしばしかなたさんだった。僕もすぐにでも新刊の話をしたかったが、彼女と同じ熱量で切り出すのは何か子どもっぽいような気がして、そのまま切り出すことはできなかった。彼女の首元に青い光沢した紐が見えて、僕はそれがネックレスだと思ったのだ。そのネックレスを話題にしたら、スマートに会話が始められる、しめた、と思ったのだ。

 その青い紐はブラジャーのストラップだった。

 幸い、僕は口にする寸前に気づいて、素直に新刊の話を始めた。しかし彼女の青い紐の強い印象が何日も続いてしまった。これ以降、彼女とのやり取りは全く記憶にない。卒業アルバムの中に彼女を見つけても、真っ先に思い起こされるのは「自衛官探偵」ではなく青いブラ紐である。僕は、彼女の嗜好に「女の子ぽさ」が見えないのが好きだったのかもしれない。純朴に読書友達として彼女をとらえていたことが大きいだろう。この一件以来、僕は彼女の胸元のカーブとか、プールの後の素足に目線が吸い寄せられるようになってしまった。彼女の名前から「自衛官探偵」は連想されなくなってしまって、僕は彼女へ後ろめたい想いを抱くことになった。彼女への後ろめたさは今も僕の心にこびりついていて、女性らしい容姿ふるまいの女性は今も苦手だ。

 少しして、あおきゆうだいさんと付き合っていることが分かって、僕は自分から彼女に話しかけることがほとんどなくなってしまった。とうの昔にあの青いブラ紐は捨てられてしまっているだろうが、もし彼女がいまも読書家であるなら、今も僕の「自衛官探偵」の一冊が彼女の本棚に収まっているだろう。僕の本棚には一冊だけ欠けた「自衛官探偵」のシリーズが収められている。

 「あおきゆうだい(仮名)について」に続く

思い出の続き


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