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「問題解決に走らない力」

ニュースというやつは今も昔も怖い話ばかり流れる。
事件、事故、不正 etc..
そして電車の中吊り広告も誰かを責めるような論調も目に刺さってくる。

どうして刺さるような感覚になるのか。
誰かを弾劾するような論調がいたたまれなく感じるのだ。

こんな話がある。
障害者施設にて、たくさんの方が殺害される凄惨な事件が起こった。
そのニュース自体は僕の心も痛みと悲しみを感じたものだった。
ちょうどその時期に、家族に重度の障害者を持つ友人と話す機会があり、この事件についてどう感じるのかを聞いてみた。すると予想外な返答が帰ってきた。
「加害者側の気持ち、わかるよ」というのだ。

ハッとさせられた。
実際に重度の障害者と共に生きるという環境にあるひとが、どんな思いをしているのか。考えさせられた。
そここには、未経験者には想像に及ばない何かがあるのだ。

思い返せば自分の中にも、紙一重だなと思うことはよくある。
新聞や週刊誌の紙面、その他さまざまな事例を見るにつけ、加害者となんら変わらない自分を発見したりする。自分が加害者になるかもしれない、と思うことさえある。逆にいつだって被害者になる可能性だってあるだろう。

そういう意味で、世の中に対して軽々しく正邪を論ずることはできないと思っている。
人間は間違いや失敗を経験しながら成長する生き物だ。
その過程では簡単に加害者にも被害者にもなる可能性がある。

社会の成熟度は、どこまでそれを許容できるかにかかっていると考える。
私たちが問われているのは、単に弾劾するのでなく「自分にとって何が大切か」を知ることである。

こうすると思考のベクトルが180度変わるのだ。
誰かが悪い、という思考はベクトルが外側に向かっている。
自分を知る、という思考はベクトルが内側だ。すべては自分の力にかかっている。

他人任せだったことが、自分ごとになる。
責任の重さが全然違うし、力を自分に取り戻すと言い直すこともできるだろう。

とはいえ許せないことも、どこかでひとを判断しなくてはならない状況もあるだろう。そんな時でもなるべくベクトルを自分に向け、力を取り戻すべく自問自答しながら進もう。ルールを増やし、当てはめて管理するのでなく自問自答する。
安易な問題解決に走らない。こうすることで真実を見る目が養われるのではないか。
どんな時でも自分を見失わずに生きよう。

自分の力を取り戻し、多様性を認める環境ができれば、その社会はとてもパワフルで強靭になると思う。人材が豊富で、アイディアに溢れ、助け合える社会。
こんな社会を構成する一人となりたい。

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感情の学校を主催しています。
こ案内はこちら次回は3月11日です。
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おまけ
無料映像配信「イライラする気持ちに対処するには?」


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心理カウンセラー。「感情の学校」を主宰。 感情をガイドにしながら自分の中心にある大事なものを大切にする生き方を提唱している。
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