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リッツ・カールトンで朝食を 3.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

松宮さんに朝食をお誘いいただきご一緒することになったぼくは、リッツ・カールトンさんへ伺うのもこれで4度目となる。
緊張感は消えずとも、さすがにもう右手と右足が同時に出そうになることもない。
最初こそ難攻不落と思えた庶民の壁(自動ドア)も近づけば開くことをもう心得ているので、なんなら鼻歌の一つでも歌いながらホテルの人に「ご心配なく。わたくし、この壁が開くことは存じ上げておりますのよ。オホホ」と言って微笑みたい気分にさえなってくる。

ところがこの庶民の壁から一歩足を踏み入れると、また一段と緊張感が増す。
初めてこちらのピエール・エルメさんで買い物をしたときには、緊張のあまり商品もよく見ず「これをください」と言っていたし、マカロンの詰め合わせを買ったときも好きなものを選べるのに「おまかせします」の一言。
こんな豪華な空間で商品を吟味するなどといった心の余裕を、ぼくは持ち合わせていなかった。

それどころか箱に詰めてもらう間、それを待っているのが辛い。
病院の待合室で待ったり電車を待つといったそれらとは種類が違い、何をするでもなく豪華な空間に所在なさげに自分がいることが苦痛で仕方がない。
こんなときは箱詰めに時間がかかる分、たくさん買った自分を恨めしくさえ思えてくる。

手持ち無沙汰なぼくはキョロキョロとするしかなく、それも機敏に動くと田舎者丸出しだと思われかねないという過剰な自意識からゆっくりと店内を見回し、全然緊張なんてしていませんが、何か?といった所作をしているのは我ながら滑稽でしかない。
そうこうしているうちに、今度は本当にどうでもいいようなことが頭の中を過ぎり始める。

豪華だな、豪華な内装だ・・・ん?さっきから「豪華」としか出てこないな。
こういうのを何て言うんだっけ?
ラグジュアリー、そうだラグジュアリーだ。雑誌などの活字で見かけるあれだ。
そういえば、ぼくは48年近くも生きてきてラグジュアリーって言葉を発したことすらないんじゃないか?

ピエール・エルメの店員さんに聞こえないよう小さな声でつぶやいてみる。

「ラグジ・・・」

やっぱり噛んだ。

ぼくが生きている間に今後、この言葉を書く機会はあったとしても発することは恐らくない。
「噛まずに言わないと家族の命はないぞ」とか「地球の運命はお前が噛むか、噛まないかにかかっている」なんて場面に直面するなら発声練習もいとわないけれど、ぼくの平凡な暮らしの中でそんな状況は想像にもつかない。
そもそもぼくはこの歳までラグジュアリーという言葉を要せずに生きてきた。
それによって不自由な思いや困ったことだって一度もない。

が、しかしこのザ・リッツ・カールトンさんの雰囲気を人に伝えようとする際には、豪華、贅沢という日本語よりなぜかラグジュアリーという言葉の方がしっくりくる気がする。それが外資系のホテルだからなのか、単に外資系というだけで怯んでしまうぼくだからなのかわからないけれど。

何はともあれ、そんなラグジュアリーな空間でラグジュアリーな朝食を、ラグジュアリーとはまったく無縁なぼくがいただくことになった。

つづく


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