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Twitterのこと 1.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ひと昔前のことを思うと、ツイッターもFBと同様に今では熱心にやっている友人、知人がほとんどいなくなった印象を受ける。
個人としてやっていた多くの人がやらなくなり、今もわずかに見かける友人、知人のツイートのほとんどは会社やお店などの宣伝、告知といった無難なものになった。かくいうぼくもwebサイトの更新をお知らせする程度にしか使っていない。

著名人やツイッターが好きでずっとされている人などを除き、多くの人たちがどうしてツイッター離れになったのかを考えると、インスタグラムの台頭はきっと要因の一つであったと思う。
ユーザーの多くがツイッターからインスタへと流れたことは否めないと思うけれど、ぼくがツイッター離れを感じるようになったのは、もっと以前のことだった気がする。そしてそのきっかけがインスタでないとすれば、やはり原因はいわゆる SNS疲れだろうと想像する。

ツイッターを始めてしばらく経ったころ、ぼくがこんなツイートをしたのを覚えている。

「TLを見ていたらツイッターにいる人みんながみんな、とても賢い人ばかりに思えてくる」

いま思えば、我ながらなんて素直なバカなんだと思わずにいられない。
どの人をフォローするかは、その人の趣味嗜好によって当然違ってくるけれど、友人などを除けば大抵の場合、憧れている人や好きな人、趣味や仕事などで自分がベンチマークする人などをフォローするものだと思う。
ぼく自身がツイッターでフォローするのも、賢いな、おもしろい人だなと思う人たちが多くなる。その結果、自分のTLを見て「みんながみんな賢い人ばかりに見える」と感じるのは当然のことで、それは自分で掘った穴に落ちて「こんなところに穴があったなんて」と言っているようなものだった。

ぼくの知る限り、まだはじまったばかりのころのツイッターは平和だった。
少なくとも決して広くないぼくのTLの世界はそうだった。
当初から今でいうインフルエンサーのような人もフォローしていたけれど、こういった人たちのツイートは自分が絡むものでなく見るためだけのものであり、ぼくが実際にリプライを送ったりと言葉のキャッチボールをするのは、身近な人たちばかりだった。
また、そこでのやり取りの大半は取り留めのないバカ話で、たまに友人が良いことやおもしろいことを書けば、おー!良いことを書いてる、これはRTしなきゃといった程度だった。
こういった無邪気で平和なツイッター生活を満喫していたある日、何気なくした仕事にまつわるツイートに対し、この時点ではまだお会いしたことのなかった同業の方からのツッコミが不意に入り、とても緊張したのを覚えている。
決して揉めたといった話でないけれど、このときにぼくは ”ここは、そういった場所なんだ” と認識をするようになった。

ぼくらが平和なバカ話をしていたころ、あるいはぼくに認識がなかっただけでそれ以前から他所のTLではディスったりディスられたりと罵詈雑言の応酬が行われていたのだろうと思う。
そして、そういったことが否が応でも目に入るようになったのが東日本大震災が起きたころだった気がする。
未曾有の大災害となったあの日、既存の電話回線やメールが使えなくなる中でツイッターは落ちずにライフラインとしての機能を果たし賞賛された。
一方であれだけの状況だっただけに、その後もTLには毎日緊張感あるツイートがたくさん流れ、あちらこちらでディスり合い揉めている内容がぼくのTLにも頻繁に流れてくるようになった。

一時期、何かと言えば「ソースは何?」「ソースを出せよ」と、まるで厨房での会話かと思う感じの悪いツイートが散見したのもこのころだったと思う。

つづく


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