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四十にして惑わず、五十にして惑う

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

少し前に、関ジャニ∞の渋谷すばるさんがグループを脱退するとかで騒ぎになっていたことは記憶に新しい。
ぼくが関ジャニ∞ のファンだというわけでもなければ、誰かジャニーズの特定のファンだといった話でもない。ちなみに高校二年生の姪っ子は関ジャニ∞ の熱狂的なファンで、ついでに書くとぼくはさすがにフォーリーブス世代ということはないけれど、トシちゃん、マッチ、ヨッちゃんのたのきんトリオ世代にあたり、当時大好きだったのは明菜ちゃんだった。
いや、いや、別にアイドルについて書こうとしているわけでもない。

事務仕事をしながらテレビに映る脱退会見を横目で流し観ていたぼくは、渋谷さんのある発言で手が止まり思わず観入ってしまう。

「36歳という年齢を迎え、『人生の半分』と考えたときに・・・」

スーパーアイドルの発言を取り上げこう書くのも甚だ僭越ではあるけれど、そのときぼくは率直にこう思った。

あー!めっちゃわかる。ぼくも35歳になったとき、同じことを思ったよ

ぼくは30歳のとき初めて自分の店をやったということもあって、いま思えば異常とも思えるほど働いていた。そのときには半ば本気で、ぼくは死なないんじゃないかとさえ思ったこともある。それが35歳を迎えたときには、もう人生の半分を折り返してしまったと実感した。
20代のときには将来店をやって、歳をとったらノンビリしようなんて思っていたのに、実際に40歳になったときには、ヤバい、残りの時間を考えるとノンビリなんてしている暇ないじゃないか、と駆り立てられるような気持ちになったものだった。

孔子の言葉に「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、・・・」というのがあるらしい。
さすがにこの年齢にもなると、若いころのように自分と他人を比べ何か思うといったこともほとんどない。他人は他人、自分は自分と思えるから孔子がどれほど偉い人だろうが何を言い残していようが、そんなもん知ったこっちゃない。
孔子は孔子、ぼくはぼくと思うけれど、晩年に振り返ったというこの言葉を知ったときには、確かにその通りかも知れないなぁと思った。

三十にして店という形で立ち、四十にして惑わず東京へ出店し、とここまではいい。孔子の言葉通りなら次は ”五十にして天命を知る” はずだけれど、それももう数ヶ月後に迫ってきているのに、どういうわけか未だに連絡がない。
天命をどういった方法で知るのかわからないけれど、とにかくいまのところ着信もなければ、受信トレイにもない。
それどころか四十にして惑わなかったはずなのに、五十を目前にして天命を知るどころか正直ぼくはいろんなことを惑い、迷い始めている気がする。

「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして惑う」

ぼくと同年代の人たちは、もう天命を知っただろうか・・・
渋谷すばるさんの言葉を聞いて、何となくそんなことを考えた。


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