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キャンドルに迎え火を

人の気持ちがわからない。
小学生の頃、音楽の授業で合奏の練習をしていた時、大太鼓を担当していた友達がうまく演奏できずに泣いた。
私は何か声をかけた方がいいということはわかるけど、何を言っていいのかわからなかった。少し悩んで思いついた言葉をかけたら、友人はもっと泣いて、そして怒って音楽室を出て行ってしまった。
やってしまった。でも何がいけなかったのかわからなかった。

***

娘の強い口調が気になって仕方がない。
「ちがう」「いや」「そうじゃなくて」
自分じゃない誰かが、正しいことを言うことが許せない。
自分が間違っていると指摘されることが許せない。
そもそも極端な正義感からか「間違っていること」が許せない。
私とはタイプが違うが、明らかにコミュニケーションに難しさが出てきている。
ツイッターで流れてきた「性格が悪い人10項目」に、娘がことごとく当てはまる気がして落ち込む。
このままでは孤立してしまう。

まずは、第一声「違う!」と言うのをやめてみるのはどう?
と言っただけで「気をつけているけどできないの!」と泣いている。
そうか、気をつけているんだね。

***

「愛することは継続だ」とエイリッヒ・フロムが書いていた。
私は確かに我が子のことを愛している。
そのことを常に言葉にしてきた。
愛しているゆえに、その横暴な振る舞いが気になって仕方がない。
みんなから愛される人になってほしい。
愛を与える人になって欲しい。
そのままの娘で、自分はこの世に受け入れられているんだと思って欲しい。

私の親は何を大切に人生を送っていたのだろう。
父や母から人生で大切にしていることを言葉で教えてもらうことはなかった。
会社員でほとんど存在感のない父親と、専業主婦の母。
母は子育てに一生懸命だったと思う。
母から聞く大切にしている考えや思いの言葉が思い出せない。忘れたのかもしれない。

私が娘に伝えたいのは、あなたが生きているだけで嬉しいこと、自分を大切にすること、自分で自分を好きになること、自分の機嫌を自分で取ること。人に自分のハンドルを握らせないこと。
人の評価を基準にしないこと。
伝えたいことはこれまでも何度も言葉にしてきた。

けれど、どうもうまく伝わらない。
ルーティンのように言葉にしているけれど、最近の娘は懐疑的だ。

どうやって愛を伝えようか。
全てを受け入れているよ、とどうやって伝えようか。

***

機嫌が悪かった娘が、習い事に行くと一転上機嫌になって帰ってきた。しっかり外の世界でうまくやったり、やれなかったりしている。
家の中だけじゃない暮らしをしっかり送れていることに安心した。

***

最後にお墓参りをしたのは、20代後半だった。
特に予定のない3連休に元夫と九州に向かった。
祖父の遺骨は墓石のある墓地ではなく、お寺の、靴箱のような納骨堂に収められていた。
母に連絡をとりながら納骨堂に辿り着き、元夫と手を合わせた。
どうしてそうしようと思ったのか、今では思い出せないが、
子どもがほしくて仕事を辞めた私は時間を持て余していたし、子どもがなかなかきてくれないことに焦って墓参りを決意したのかもしれない。
九州はなぜか時々行きたくなる場所だ。子供の頃にお盆と正月だけ母に連れられて帰省していただけだというのに。
帰る場所といえばあそこにあるように感じる。

祖父母が亡くなってからは九州へ帰省することもなくなり、お墓参りと言っていいのかわからない納骨堂参りが1度あっただけ。
お盆は元夫の実家で墓参りをするか、家でダラダラと過ごしていた。
そういえばお盆って何をするんだったかとふと思い調べてみた。
迎え火送り火と言うことを初めて知った。
我が子は墓参りをしたことがない。
参ることができる墓はないけれど、何かお盆らしいことができないかしらと思い、火をつけることにした。

盆飾りやそれらしいローソクはないけれど、IKEAで買ったキャンドル
が大量に余っている。
何も灯っていないよりは、灯っている方がご先祖様も迷わないだろう。
IKEAのキャンドルに火をつけようするが、チャッカマンのガスがない。
引き出しの奥を探ると父親にもらったマッチの箱が見つかった。
娘はマッチに目を輝かせている。
某冒険番組に夢中な我が子は火起こしに興味津々だ。
「やってみたい!」
湿気っているかもしれないよ、と念の為伝えてマッチ棒を手渡した。
私もこどもの頃、親のようにマッチに火をつけたくて苦戦した覚えがある。
どうせ着かないだろうと思っていた。
マッチ棒の赤い部分で箱の横をすばやく擦るのだと伝える。
ゆっくり滑らせている様子を見て、すぐに「火がつかない!」とヘルプが来るだろうと思いながら、食器を仕舞いながら「すばやく動かすんだよ」と何気なく伝える。
その瞬間、ボッ!と心地よい音がした。
振り返ると火がついている。
娘もびっくりしたのか固まっている。
「キャンドルにつけて!」私も慌ててキャンドルを近くに寄せた。
娘はキャンドルに火をつけようとマッチ棒を下に向けるが、火が持ち手の方に広がって熱い。
手を握って角度を横向きに変えるとしばらくしてキャンドルに火が着いた。
マッチ棒の燃える匂いがした。
「花火の匂いする!」と娘が言った。

「私マッチで初めて火着けられた!!」
嬉しそうに飛び跳ねている。
今年のお盆は迎え火記念日であり、マッチ記念日になった。

***

娘の個性は、集団の中にいるとその異質な様子が際立って見える。
空気が読めない。
気を引くためにわざとゆっくり行動する。
聞かれたこととずれたことを詳細に話す。
マウントを取るような自慢話をする。

家の中でも難しいことはたくさんある。
集中力が著しく低い。
片付けが極めて苦手。
書く文字は、難読な「ロボットではありません認証」のように極端にバラバラだ。
カタカナをいまだに間違える。
「ブルー」と書きたかったらしいが、バランスが悪くどうみても
「フツレー」に見える。

祖父母に買ってもらった服を、タグがついたまま袋に入れたまま床に放ってある。
もう少し幼い頃なら袋から出してクローゼットにしまってあげただろう。
でももう自分でやってもいいはずだ。
ましてや、ほしいと自分からねだって買ってもらった服なのだ。
それが一週間たっても一向に袋から出されない。
痺れを切らして「この服、クローゼットにしまおうか。」と声をかける。
とても困った悲しい顔をする。
それはなんの表情なのだろうか。
袋から出す、タグを切る、ハンガーにかける、クローゼットにスペースを作る、その作業ができない。
「買ってもらったものを大切にしなさい!片付けなさい!」と一喝したいところだけど、注意したところでできないのだ。
さっきの悲しい表情は、せっかく大好きな祖父母に買ってもらったのに大切にしまうことができていない自分への後悔の表情だったかもしれない。
最近娘はよく自己嫌悪に陥る。
私ダメな子だ、と言う。

私が彼女と同じくらいの歳の時、同じぐらい部屋が散らかっていた。
いつも散らかっていたけれど、「片付けなさい」と言われれば渋々やっていた。
片付けるたびに、なんでこんなに散らかるんだろうとのんきに不思議に思っていた。
何度も散らかし、その度に片付ける。
「散らかさない」ができないが「片付ける」はできる私。
「散らかさない」ができず、「片付ける」もできない娘。

***

その日の夜、布団に入っても眠くなかったらしく、いろいろな話をした。
娘なりに学校やその他の場所で難しさを感じているのだろう。
ネガティブな言葉の代わりに使える言葉を一緒に考える。
映画「イエスマン」の話をするととても興味深そうだった。

「どんなに叱っても、どんなに注意をしても、1mmも嫌いにならない」
「少しニコニコしていない日があっても、嫌いになったわけではない」
わかりきった当たり前のことを娘に伝える。
娘は「そうなの?」と驚いている。

そして娘のいいところを10個言う。
娘は満足したように、機嫌良く眠りについた。

「言わなくてもわかるだろう」という怠慢、
もう幼児じゃないのだから少しはしっかりしてもいいはずだという呪縛、
いろんな状況が重なっていたようだった。

***

私は全てに自信がなくなっている。
これまでもあらゆる場面で、私に関わった人たちが気持ちを蔑ろにされていると感じていたのかもしれない。
「人の気持ちがわからない。」
この言葉でこれまでのことが説明できる。
だから私からどんどん人が離れていくのだ。
成長するほどにみんなのように行動できなくなったし、たくさん失敗をした。自分の判断と選択に全く自信が持てない。
しかし答え合わせができた今は清々しくもある。
自分は不完全な人間で、一人で生きることはできない。
こんなにできないことで溢れているのにも関わらず、私は自分はなんでもできると思っていた。なんでも人よりうまくできると思っていた。
人を頼らずには生きることはできない。
人と関係を築くことが苦手であろうとなかろうと、水や酸素のようになくてはならないのだからやるしかない。



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