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偽りのよねっくす


私がまだ介護の現場にいた時の話である。

ある日、入浴介助をしていた私は、認知症のあるご利用者の方(Aさん)に
「あなたのTシャツにはなんて書いてあるの?」
と聞かれた。
小中学生の頃バドミントンをしていた私は、よくYONEXのシャツを着ていた。
ヨネックスという文字だと伝えると
「あなたの名前は"よねっくす"さんなのね?外国の方みたいな名前ね。」
と返ってきた。一旦否定はしたが、なぜかその日から私の名前は"よねっくす"になってしまった。

違う部署の利用者さんだったので、週に1回、入浴で顔を合わせる程度。
それでもその方は「あー、貴方の名前なんだったかしら…外国の方みたいな名前よね?」と、私を見ては言うようになっていた。

何度も何度も本当の名前をつたえた。なんだか騙しているみたいな気がしたから。

でも、「ふーん、そうなの!日本人みたいな顔だもね。」とその時は言うが、また次会うときには私は"よねっくす"になっていた。
とても英語が印象的だったのか、ここまでこの方の記憶が残るのは珍しい、と現場のスタッフも驚いていた。YONEXのシャツを着ていなくても「あんたの名前は…」と聞かれるようになっていた。

湯船に浸かり、独特な音程の「いい湯だな」を歌い終わるまで上がらないというのがルーティンのおじいちゃんだったが、歌詞が途中で分からなくなり、歌が終わらないことがよくあった。歌が止まったあとのはにかむような笑顔が素敵だった。

しばらくして、Aさんに癌が見つかり、施設では痛みのコントロールも難しくなってきたため入院することになった。
しばらく「よねっくすさん!」と言われることもないなぁと思っていたところ、Aさんの御家族が施設に来られた。

「この施設に、外国人と日本人のハーフの方はいますか?父が会いたがっていて…」

呼ばれた私は御家族に頭を下げた。
騙すようなことになって申し訳なかったこと。
すると御家族はこう続けた。

「やっぱりそうでしたか(笑)父がハーフの職員さんがいる、と言い張るんですが見かけたことはないなぁと思っていて。名前を思い出せないと考え込んでいたので、教えていただけますか?」

再度謝り、よねっくす と呼ばれていたことを伝えた。
Aさんは、病室のベッドの上でずっと考えていたそうだ。

「とてもよくしてくれる職員さんがいる。言葉も優しくて、笑顔が素敵なんだ。ハーフと言っていたが、顔はハーフみたくないんだよ。名前はなんだったかな。よ…よで始まる名前なんだよ。」

私は不覚にも泣いてしまった。
ご自身の体が辛いのに、そんな時に思い出してもらえる存在になれていたこと。そしてその事を御家族もとても感謝してくださっていたこと。外国人みたいな名前だから、ではなく「私」という存在を覚えていて…いや、覚えようとしてくれていたこと。


生きていく中で、嘘や偽りはよくない。
でも、人を幸せにする嘘ならいいと思うのではないか。そう思えた出来事だった。

YONEXと書かれたロゴのTシャツを来た学生の集団を見て、10年以上前のことなのに鮮明に覚えているもんだなぁとしみじみしてしまった。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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