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LIGHT HOUSEを見たのだよ


Netflix限定で「LIGHTHOUSE」という番組が配信されています。未視聴の方は、絶対読まないでください。



というのが、公式アカウントからの情報含め、前情報(予告)なしで見た方がいいから!絶対いいから!ネタバレがどうのこうの、じゃなくて初見であの映像見た方がいいんじゃないかな?と思っただけのこと。(前置き長い 笑)

こんな情報出されたもんで、1ヶ月も前からNetflix登録して、わくわくぞくぞくして待っていた、解禁の日をね。だってこの写真、誰がどう見ても若林さんと源さんなんだもん。笑



この番組は、TVプロデューサー佐久間宣行さんが目をつけた2人(星野源さん、若林正恭さん)が月に1度集まって、自身の持つ悩みについて語り合うという、ざっくりいうとそんな番組として発表された。

それでね、予告映像がバンバン流れてきてさ、「うわ~見るの怖い」って最初思っちゃったわけ。なんか重いな?てイメージが膨らんで。
実際に視聴してみたら、確かに深い話はしているんだけど…予告映像で見たほどの衝撃というか、ショックは受けずに見れたのね。
むしろ、"次が早く見たい!"って次々再生しちゃったという(笑)でも、最後の1回分は、見終わるのがもったいなくて、数日空けてから見たんだけども。

源さんの「聴く」力


とにかく思ったのは、星野源という男の、傾聴の姿勢だ。自身の話もしながら、若林さんの懐に気付いたら入っていて、スッと出てきている感じ。
若林さんが放った言葉に対しても、スタッフさんや客席が笑ってても星野さん笑ってないとこが何ヶ所もあって。
真正面から若林さんの話を受け止めているのだな今、と勝手に思っていたのだけれど、その表情を残してくれたのは佐久間さんも何か感じたからだろうか。

その、言葉選びと発するタイミング。相手が「この話もしたい」と思わせるような空気作りがとても上手いのだと今回改めて思った。

際立った若林さんの「トーク力」


そして若林さんは、話しのプロだ。話している時が1番キラキラとしている(ように思ってる)。
話の引き出し方も含めて、すごい聞きやすい話をしている。
「迷っている」と口に出せる強さを持ってる。
私は迷っている時はだいたい黙る。若林さんは、その「間」すらも自分ではとりたくないのかなと思うほどトークで繋いでいた(気がする)。

それが、エピソード3での「飽きてる」のやりとりにも現れていると思ってて。
源さんにダイレクトに「飽きたんじゃないかと思って」と言われて、自分ではハッキリと思えなかったことを言葉にしてもらえたことの驚きが表情に出てたんでは、と。
(エピソード6で、飽きたことを意識していなかったと話している)
でも絶句する訳にはいかないのと、言語化してもらえた喜びで「飽きたんすよ」と連呼していたんではないか、そう思えてしまった。知らんけど、って案件です。

こうして、聞きながら空間をつくる源さんと、話しながら空間を彩っていく若林さんのトークは、聞いていて本当に飽きなくて。
時々入る「ピー」が、心から楽しんで話せているのだなぁと感じたりして、あっという間に見終えてしまう。そしてまた見てしまう。

2人とも言語化能力が高すぎる。そして話を聞くのも上手すぎる。対人援助職も出来るよ、この2人。心理カウンセラーとか、そういうのも。←言い方

そしてエンディング

毎回、その回のトーク内容を受けて、源さんが曲を作るというのも見ものだ。
佐久間さんも話していたけど、番組を見たあとに曲を聞くのをまずはおすすめしたい。楽曲自体もとんでもなく素晴らしいのだけど、番組見てからだと心への響き方が違う。

ちょっとだけ感想を言わせてもらうと、やっぱり歌詞に使われる言葉、それの漢字と平仮名の使い分けが美しい!!!

"わかることがわからないよな"
の一文が特に刺さっておる、my heartに。
ひらがなって表現がやわらかく見えるからさ、優しい歌詞に見えるんだけど、命題としてめちゃくちゃ難しいことなんだよなって思って。
今の時代を生きていくのって大変だなぁ。

自分の居場所

私の今の仕事は、繰り返しなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。分からないけど、源さんたちが飛び込んでいくような刺激とは程遠いかもしれない。飽きたかどうか、私が変化を求めているかどうか、考えたこともなかった。

今回、LIGHTHOUSEを見て考えたのは、「私は繰り返しにも耐えうるし、変化することを極端におそれているので、新しいことに飛び込むのは容易ではない」ということ。

"私の居場所は作るものだった"
と喜劇という曲の中で歌ったのは、源さん自身の感じたことであった、と。
そうして新しいところで自分の居場所を作りながら、「今日」という日を迎えているといいことの奇跡。推していて楽しい、飽きないのは「飽きた」人が新天地に向かっているからか!と腑に落ちた。

私自身は変化が苦手でも、こうしておもしろいことが飛び込んでくるだけで、それを眺めているだけで生活に彩りが出る。それでいいのだ。こうしてわたしはここにいる。

最後に

私たちは常に、何か希望のようなもの(光)に縋りたいのかもしれない。1話ごとに視聴している私がセラピーを受けたような、そんな感覚が何度観ても在る。冒頭でも述べたが、ファンでなくてもNetflixが視聴できる環境にある人にぜひ見てほしい。生きることへの希望みたいなものが、じんわりと照らされて浮かび上がるような感覚になると思う。

普段、エンタメ界に希望の光を灯している2人が、実は自分自身の未来に対しては「真っ暗な中に進んでいきたい」と言ったり、私のような悩みを抱えているのだと分かり、なんだかホッとした。
(比べるものでもないし、同じような…なんて烏滸がましいけれども。)

灯台 と名付けられた2人が、最後に自分の未来に灯りをともしたようにパッと明るい笑みを浮かべたのが非常によかった。
それぞれにフィールドは違えど、「表現者」としての葛藤は共通するものがあるのかもしれないなぁと、だからこそ共鳴するのかも。

これからも、お互いを照らし合うLIGHTHOUSEであってほしい。普段はそれぞれの海を照らし、時々ニコッと照らし合う、そんな2人の120歳になったときが楽しみだ。


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