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6月21日朝の日記-流浪の月-

深夜の2時に寝たのにも関わらず7時に目が覚めてしまった。生理痛は眠気に勝る。昨晩はお腹が痛いけれどその時間に飲むと深夜に効果が切れて目がさめることはわかっていたから、痛いのを我慢して21時にレトルトを温めて食べた後、薬を飲んだ。それでも時計の針が重なって好きなアイドルの誕生日になるとTwitterはお祝いの言葉であふれ、雑誌の表紙を飾ることも発表され、たくさんの人を笑顔にさせる彼のことを改めて「大好きだな」という感情に浸っていたら結局寝たのは2時間経ったころだったのだ。

二度寝しようと思っても頭が痛くて、体も重くてベットにうずくまることしかできない。なんとか体を起こしてポットでお湯を沸かす。こんな時誰かと一緒に暮らしていたら、お茶を入れてもらうことも軽食を作ってもらうこともできるのだろうか。ごはんを作る気にもなれないから薬を飲むことをためらう。お茶を飲みながらTwitterを見ると、彼が表紙の雑誌がサイトによっては売り切れになっていることを知った。すぐに予約しておいてよかった…。本当にすごいね。彼のことは大好きだけれど、時々「必死にもがいていたあの頃が一番好きかもしれない」と誰かに言ってはいけないようなことを思ったりもする。気づけばお腹の痛みは治まっていた。

ふと枕元を見ると昨日買ってきた「流浪の月」が目に入った。本屋大賞を受賞したらしい。最近好きな俳優くんがインスタグラムのストーリーでこの本を読んだと言っていたから、気になって買ってきた。その俳優くんはMVや小さな映画に少しでたりしている。彼の芝居はそのMVでしか見たことがないけれど、わたしは彼のとる写真が好きで、所属している事務所では広告のデザインの仕事もしていて、時々ストーリーに読んだ本を載せるのも好きなのだ。

読みながら「好きだな」と思った。最初から文と更紗の関係性が好きで、心地よくて、うらやましかった。「ふつう」でなくても受け止められる人でいっぱいの世界になれば良いのにと思いつつも、だからこそその現場にキラキラしたものを見出せる「ふつう」ではない人もいるのかな。

本を読み終えた後、読書メーターにこう感想を記録した。最近「ふつう」って何だろうと考えることが増えた。平均ってことかな。過半数を超えたらふつうかな。高校生の頃まで世間の何にも疑問を持たずに生きていてしまった。ちょっとふつうからズレた話をするならば美大に進んだことだろうか。わたしの高校からは毎年学年で一人いるかいないかだ。そのひとりになった。受験形態もスケジュールも色々みんなとは違った。ふつうではない選択はわたしを豊かにしたと思っている。習慣的に映画館に通うようになると自分の心の視野が広がった。自分が当たり前と思っていた世界も当たり前ではなく、自分が知らない世界も無限大に広がっていて、自分の知っていることが、感じていることが正しいと考えながら言動することに恐怖を覚えた。何でも型に当てはめて考えるのは怖い。その見えないところにある事実は?「イノセントデイズ」を読んだときにも思ったことだ。当人たちにしかわからないことがあって、それを他人があたかも「わかっている」ような口をして言うのは間違っている。そう思うんだ。


今、12時2分。起きてから5時間が経過した。お腹の痛みは収まっている。豊かな日曜日の午前中を過ごした。今日は20時にわたしの好きなアイドルのコンサート配信がある。それまで何をして過ごそうか。あ、そうだ、バースデーケーキ買ってこよう。



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