やる気が出ないに対して思うこと

着手すれば勝手に進むのだ。着手が出来ればな。



出来ない自分を否定してしまう



おお神よ!なんて自分はダメなんだ!


という風に思う。



やりたいことができていない時、


出来ない自分を全否定したり、


他のマイナスポイントと結びつけたりして、


あたかも自分が本当にダメな人間であるかのように試行してしまう。


ああ、宿題をやらなければいけないのに、


部屋も汚いし、ワイシャツも脱ぎっぱなしだし、


おまけに俺は勉強も運動もできないブサイクだなんて!!!


少し落ち着いて考えれば、部屋が汚いけど頭のいい人や、


運動ができないけどかわいい子はいっぱいいるので、


それらは全く結びつかないのだが、


心の装置がうまく作動していないと



どうしてかそういうものを結びつけてしまうようだ。



大切なことは父性にある。

こういうことを言うと現代では叩かれるのかもしれないが、


父性というのは社会性、規律、尊厳のような、


要するにお父さんが会社で頑張ってるときに大切にしてることのようなものだ。


時間を守らなきゃいけないとか、仕事をやりきらなきゃいけないとか、


チームワークを働かせなきゃいけないとかいうのはだいたいこれである。



と同時に、世のお父さんたち、そして働く我々は、基本的に世の理不尽と立ち向かっていっているわけで、


それでもなお成果を上げよう、仕事を乗り越えようと思ったときに、


この父性というのがとても大事になってくる。


「やる気が出ない」とか、「仕事がはかどらない」に対して、


ようするにそれって自分では知覚できない何らかの要素によって、


ただなんとなくできない状態になってしまっているのだが、


それは要するに、よーわからん理不尽が自分には襲い掛かってきていて、


だから、その理不尽に対して「うるせぇ」とはねのける力が働かないと、



理不尽の結果出来ない自分を卑下してしまう、ということになりやすい。



じゃあ、そのように父性が強くないことが悪いことなのかというとそうではなくて、


それは相対的に母性が強いということだから、思い遣りにあふれていたり、


面倒見がいいという方向に偏ったりする。


でも、自分の精神の強さみたいなことをパラメーター化したときに
(レジリエンスという研究分野がある)


この、理不尽に反発する力、抵抗する力というのはとても大切で、


だから、悩みがちな人、なかなか行動できない人に、今一度考えてほしいのは



やる気がない自分を「うるせえ」ってはねのけて、「やるって決めたからやるんだよ」「やりたくねぇからやらねえんだよ」みたいな、


そういう力をどこかで振るえたらいいよね、って思うなどした。


それによってやりたいことができるなら、なんだってやればいいし、


そういう意味で、例えば宿題やる前にゲームやりたいとか、


仕事する前に女を抱きたいとかでも、


やらないほうが良いよな。。。とかやっちゃまずいよな。。。とか


ぐちゃぐちゃ考えるくらいなら、


うるせぇ、女抱いて金稼いでくるんだよ、


みたいな気概があるほうがうまくいくんだよね。


ま、わかっちゃいるけどできない、ということなのかもしれないけども


そのように悩む人に、自分の背中を見せる以外に激励する方法がわかんないよなあと思った休日の夜。

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